kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

確かに医療支出のGDP比率は高騰しているが、

たまたま最近アメリカの高騰する医療と、国民皆保険の是非をめぐっての記事を幾つか読んだので、ちょっと思うところを書いてみよう。


これはまた、よくリバタリアニズムを批判する際に、「自由の国アメリカではGDPで16%もの医療費を支払っている反面、保険に入れない人が5人に一人もいるじゃないか」という声を聞くことにも関連している。実際のところ、アメリカの医療費の増大は顕著で、ムーアの法則よろしく、戦後一貫して10年あたり3倍以上増加している。ちなみに日本は9%ほどの支出で、国民皆保険になっており、アメリカほどには医療費の伸びは顕著ではない。ヨーロッパ諸国はその支出、伸びともに中間的である。


まず、日本やヨーロッパでは医療費が抑制されている原因の重要な点は、医療費や薬価が公定されているということにある。そうすると、医師の国家資格が公定されている以上は、サービスの総供給量が抑制されているわけで、結果として、供給量かける単価=医療費、も抑制されているというわけだ。アメリカでは薬価も医療費も規制されていないため、価格規制がある場合よりもはるかに高い価格になっている。実際に、アメリカでの医薬品会社の利益率は、ヨーロッパよりも遥かに高いのだ。この点を見ると、なるほど規制容認派が正しくて、国民に医療をあまねく与えるためには、医療費が公定されている必要があるというようにも思われる。


トリックは、アメリカ医師会が医師の数を制限していることにある。医療技術が日進月歩なので、MRI,PET,CT などの、より高度で高価なイメージングの機材が開発され、同時に新たな手術などの治療方法が開発されている。さらに社会が高齢化する場合は当然に医療への需要はあがるため、同じ数の医者の数では、どうしても価格が高騰せざるを得ない事になることを経済学は教えている。実際に、その通り、医療の単位時間あたりの価格は高騰している。


これは現代社会では無理なのだろうが、結局、これまでよりも多くの医者を育てれば、医療の価格は下がり、(厳密には価格の弾力性にもよるが)総支出も減少することになるのだ。ちなみに一般のfamily doctorの場合、平均して130万ドル=1200万程度の収入があると報告されている。もっと多くの人が医者になりたがっているのに、なぜ医者になるのにそれほど頭がいい必要があるのか? あるいは多様な専門医には高度な知性が必要かもしれないが、まず病気になっったときに、どういった専門医に見てもらうべきかを判断するfamily doctorになり、単なる薬の処方箋を書くことに対してまで、それほど敷居を高くする必要はないだろう。


つまるところ、アメリカの医療の問題は、カリフォルニアの電力自由化の問題と同じで、供給量を規制しながら、価格を自由にすれば、競争がないので、もちろん価格が上昇してしまうということにあるのだ。2030年にはおそらくGDPの30%が医療に費やされると予測されている。これが50%にでも近づくというような極限的な状況にならないと医師数の増加という、巨大な特権に切り込むような根本的な解決は見送られ続けるだろうと思う。


面白いのは(あるいは当然のことなのだろうが)、医師の書いた本を読むと、この医師数の制限という問題が、「必ず^2」抜け落ちているということだ。僕は本当に医師の意見で、医師数を増やすべきだという意見を聞いたことがない。大学教員と同じで、全員が「自分は医師として十分だが、他のやつらは現状でさえドウシヨウモナイやつが多い。いわんや数を増やしてどうなるの?」といったわけだ。こういった人間全てが陥る妄想からの制度矛盾については、ミルトン・フリードマンの古典『資本主義と自由』を是非とも読んでいただきたい。この問題が、昨日今日始まったことではないことがよく理解できるのだ。