昨日、友人と話していて、
岐阜県の交通安全協会は当然に「順路」上の最初にあって、
自分は絶対に払わないと主張すると、
別コースでの手続きするペナルティがあると言っていた。
だいたい、田舎の交通安全協会の方が、
住民運動がない分だけ、こういったいやがらせが多い。
それで「赤信号、みんなで渡ればコワくない」みたいな
無意味な立て看板をあちこちに立てて、環境を破壊して、
警官OBのいる特定業者に仕事を回している。
当然、大阪や名古屋、東京などの大都市では、
反対するマトモな弁護士もいるためだろう、
完全に順路の最後で任意になっている。
日本の免許更新というのは、日本の免許取得のバカバカしさと同じで、
本当に「自分で自分の首を絞める」ような典型的な自滅制度だ。
僕は大学時代に普通免許、中型限定免許を25万円で取ったが、
アメリカで15ドルでとりなおした。アホラシイ話だ。
これにはダメ押しがあって、
日本に帰った僕は、免許が失効していたために、取り直しをしたのだ。
試験場では、3回も落ちて、教習所の非現実的な運転を思い出させられ、
散々な目にあった。
大体、教習所の教員の流れを無視した運転が、
僕の常識的名よりも安全であるはずがないじゃないか!
さらに更新はカリフォルニアでは、自動的に住所に送られてきた。
日本では、警官OBのつまらなく、無意味な話を5000円ほどで聞くということになっている。
そういう天下り警官の講師たちも自分の存在意義を知っているのだろう、
話に力が入っていない。
正直、僕は警官の給与を現状よりも上げることにまったく反対ではない。
正義を実現するような重要な役割には、もっと金銭的な利益があってもいいだろう。
反対するのは、こういった形で、コズルく組織の年長者の利益を守ろうとする態度だ。
これでは、途中で警察の制度がイヤになったら、もうそのうまみに与れない。
というわけで、現場の警官ではない人が、隠れた退職割増を受け、
その分、少しずつ我々日本人の生活が貧しくなるというわけだ。
これはすでに僕が大学時代に大前研一氏が指摘していたが、
こういった警察組織の利権は永遠になくならないのが残念だ。