kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

経済学の基本を学ぶ良書

本書は元実務家であり、現在は経済学教授によって書かれた
秀逸な経済学の入門書であり、『スタバはグランデをかえ』の続編である。


一読して、価格の決定がいかに為されているかが、経済学の標準的な理論を使って
丁寧に説明される。特に、シニア割引のような価格差別について、よく説明されている。


ついで、著者は日本の大学が教育活動を実質的に行っていないことを喝破し、
センター入試のようなテストによって就職まで行えばいいという。
これは、アメリカにおける大学入試標準テストであるSATによってのみ
就職活動をしろというのと同じようなものある。
私は、「大学の文系教育には教育効果はないが、人とのつながりができるという意味で有益なのかな」、
あるいは、「ブランド的なハロー効果が生じることが意味なのかな」と思っているので、
必ずしも完全に著者には同意できない。
また世界的に大学教育費が高騰しているのは事実だ。


いったい、MITやハーヴァードなどの世界レヴェルの大学教育が
本当に年間300万円もする必要性、あるいは価値があるのだろうか??
もちろん卒業生の平均給与は高くなっているが、それが教育の効果なのか、
単なる選抜によるものなのかは、はっきりしない。
学者の給料からすると学費は納得できるともいえるが、
大学に行くというのはつまり、アルマーニやゼニアのような
一流の服を着るのと同じなのかもしれない。
そうだとするなら、今後もますます高騰してゆくようにも思われるのだが???


ただ、筆者のブランド私大と国公立大の分析は、
私立には国立の学生を奪うインセンティブがないから値下げをしないというものだ。
私の考えでは、これは私大同士の学生獲得ゲーム、国立同士の学生獲得ゲームを考慮していないため、
そのままでは片手落ちの議論だと思う。


なのでおそらく、筆者の主張のような形では、今後の大学は変化しないように思われる。
大学が変化できるとするなら、それは、だれでも自由に大学産業に産業できるようになった時だろう。
その時初めて、本当にこれまでに教員の既得権益を破るような、
そして教育の意味というものが本当にあるような制度が試されることになるように思う。


私がもっとも素晴らしいと思ったのは、
クルマが家電量販店で売られるようになるだろうという著者の予想である。
そしてそれは、かつては松下や日立のチェーン店で売られていた家電が、
ヤマダ電機などの量販店で売られるようになって、
価格破壊が起こり、今や消費者にとっては望ましくなったという視点だ。


このままでいけば、車もデルモデル(普通車)やあるいはアスース(軽自動車)のように、
30万円程度のクルマが所得の低い田舎では主流になることも十分に考えられる。
永遠に残る問題は、
もちろん年間のクルマの所有に係る税金は10万円を超えるだろうという
政府の税金の問題ではあるが、、、、


ともかくも、経済学の考えを知るための一般向けの良書であるが、
残念ながら、通常の学者はこういった教育的な本では研究業績にならないので、まったく書かない。
著者が、大学を去り、今後は著述に専念するというのは必然なのかもしれないが、
大学での経済学教育にとっては非常に残念なようにも思われる。