kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

おめでたい奴

無政府の社会では、
なるほど おそらく大きな企業などは「権力」
あるいは「事実的な価格支配力」を振りかざして、
大衆から金銭的な搾取をするのかもしれない。
多くの教養ある左翼人士はこれを憂えて、
国家による、大企業などの規制を訴える。
僕がいつも受ける批判の典型は、
そういった大企業による搾取を等閑視するおめでたい奴だ、
というものだ。


たしかに無政府の社会では、
大企業による「搾取」あるいは「創業者利益」が
あるいは理論的には、現在よりも巨大になるかもしれない。
僕はこれを信じないのは、電気、ガス、放送、新聞、
通信などといった大企業は政府による有形、無形の特許や
事実上の独占許可を得ていることによってなりたっていることが
ほとんどだからだ。
これは企業だけでなく、医者、弁護士、大学教員にもあてはまる。


仮にこの点は譲ったとしよう。
そうだとしても、そういった比較は
無政府社会の美点の本質を見逃している。
比較されるべきなのは、「大企業」の搾取だけでなく、
「大企業+政府」による搾取なのだから、
政府の搾取の分がなくなるだけ、全体としては、
人々はより豊かな生活を送れるだろう。


なにせ、政府は公務員をやとって生産活動の潜在力の過半を、
あれやこれらの法的規制や監視によって阻害しているだけでなく、
さらには直接的にわれわれの生産活動から3割を税として奪っているのだ。
どう考えても大企業の集団の及ぼせる力などの比ではない。


無政府主義者をおめでたい奴と批判するのは、
もっともな直観的な理解だろう。
だが、なぜそう主張する左翼人士は、
「大企業は自分たちの力では変えられないが、
政府のあり方は変えられる」と信じられるのだろうか?
歴史に徴してもそれは不可能なだけでなく、
自分が権力を持ったら、
だれであれ(それが自分であったとしても)自分に都合がいいように
法令の解釈を変えるのだということになぜ思い至らないのだろうか?
そっちの方がよっぽど おめでたい奴 だと思うのだが、、、