kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

20年以上も昔の話

小生の場合、
だいたい日記を書くのはゲロ酔っているときが多いのだが、
今日もまたそうであることを、
まず読者諸兄に謝らなければならないだろう。


さて先日 小生は18歳の上京時からの学術的な親友であり、
現在は環境主義的な経済学、左翼主義の大学教授、
(それも小生とは比べ物にならないreputativeな大学の)
の家族に小生の家族とともに名古屋駅であって歓談した。


左翼的な思考を前提とする彼は、やはり彼は小生の反政府的、
環境主義的な最近の著作が気に入らないようであったが、
「なんで、君はそんなに政府が嫌いなの?」と
彼に聞かれた時には、自分でも少し考えてしまった。


小生の父は氷見市共産党市議会議員を28年間務めた。
よって、共産党にでも入るのがお気楽人生にはよかったのだろう。
あるいは、今頃は、シイさんについで偉く(爆)なれたかもしれない。


しかし小生は大学以来、
どうしても「非実力主義的な」共産主義に同感できなくなっていたし、
おまけに東側は貧しく、自由もない。
なによりも、その思想においても、
「科学」でもないくせに「科学」を名乗るpsudoscientificな
態度が気に入らなかった。
そこで大学3年に、
フリードマンの「選択の自由」に出会ったわけである。


大学院進学を決意した小生にとって、経済学と並んで、
もう一つの興味あるオプションは
中学から興味のあった進化生物学をやることであった。
進化論は経済学と似ているという直感は、
当時からもっていたが、それは均衡と最大化の仮説である。


大学4年の時点で小生は、自発的に電話を掛けまくり、
東大の長谷川寿一教授と話す機会を得たが、
彼、彼自身曰く、木村資生の中立進化バンザイであり、
人間の行動をモデル化したいとはいってみたが、
小生の生きる道はゴリラ研究しかないといってくれたので、
むしろ純粋な理論が好きであった小生は、
マクロ経済学アメリカで勉強した方にかけたわけである。

現時点においての客観的な状況分析では、
高い可能性で小生の研究人生の終わりは近いと思うが、
いったい、このときの判断は正しかったのだろうか?
明日死んでも何の思い残しもない小生にとって、
これは神のみぞ知る!だ。


ひとつだけ言えることは、
今後も進化論と神経行動学、社会哲学は
小生の知的探求の永遠の興味であるだろう、
ということである。


それでは皆さん、今年もよろしくお願いいたします。