kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

遺伝的傾向

先のポストは論理が脇道にそれてしまったが、
つまり、ゲイの遺伝子なり、殺人の遺伝子なりがあったとして、
それを持ちながら、そういう活動をする人間の道徳的な非難は
より強くなるのか、あるいは弱くなるのか
という議論の立て方がひっかかったのである。


さて、アメリカで養子として育てられた男が殺人をしたが、
その生物学的な父親もまた人殺しであった。
弁護士は、「彼には抵抗できない殺人遺伝子があるので無罪にすべきだ」と
主張したという事件がある。


こういった主張には、一抹の説得力がある。
われわれのある人間が生まれつき何かの行動性向をもっているのなら、
それを行うことはやむを得ないのではないかというものである。
これだと、しかし、性欲が人よりも高く、攻撃的な人間は
(これはおそらく、テストステロンの血中濃度や、遺伝子配列で計測できるだろうが)
女性をレイプしても、その道徳的な非難可能性は下がってしまうことになる
そんなことがあっていいはずがないだろう。


これはつまり、自然主義の誤謬なのだ。
他人物を盗むなかれというのは、
本人の資質とは無関係に否定されるのであって、
本人の先天的な遺伝子配列とは無関係であるべきだろう。