kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

著作権の未来

著作権は現在のような形での強制は難しいと思う。
とすると、どうなるのか?


映画のネットでの流通は皿がなくなれば、若干は減るだろう。
とすれば、オンライン配信がDistributionの主流になるだろう。
しかし、どうしたって完全には防げない。


いまでも例えば、ある人が他人のぱくりを自分のものだといったら、
軽蔑されるだろう。ブランドはその程度の保護でいいのだろう。
シェアやウィニーがこれだけ普及した以上、
映画は自発的に支払われる対価を正規DVDというノベリティグッズの形で
集める程度になるしかない。
これだと、おそらく現在の10分の一ぐらいの予算しか組めなくなるだろうが、
だからといって映画がなくなるとも思えない。
人類の科学は常に向上しているのだ。
結果はハリウッドのスーパースターの年収が100億から1億に減るだけだろう。


映画や音楽は現在のパブリシティのような形で単なる宣伝にして、
著名になった人はコンサートやイベントで生活をすれば
十分にやっていけるだろう。


同じことだが、
グーグルは世界の図書館とすべての活字を電子化しているが、
これはすごいことだ。
特に僕のように地球の辺境にいる人間でも先端の研究が読めるのだ。
ところが、これにも多くの本屋が反対している。


現行の、著作権法既得権益を擁護しすぎており、
とんでもなく人類の生産活動を阻害している状態にある。
アインシュタインは破格の名声を得たが、
彼は原子力発電の基本特許を出願しなかったおかげで、
我々は原子力発電を安価に活用できている。
同じことがすべての活動で可能なはずである。


公開するのがどうしてもいやだというのなら、
コカコーラのように世界的に製造方法を秘匿したままで、
秘密と契約によるビジネスをすればよい。
映画でも、特別試写会もあるし、音楽でもコンサートは
exclusiveにして、私法的な契約だけで十分成立している。
ディズニーも映画は宣伝にして、各地にディズニーランドを
増設して、排他的な夢の空間をビジネスにすればいいのだ。


同じように、大学などというのはバカげた空間である。
人類の英知はすべてオンライン上にあり、
今となっては、別に集まって講義室などにいく必要はまったくない
しかし、大学は永遠に存在し続けるだろう。
それはディズニーランドと同じように、
学問というリアリティを感じるための空間なのである。


なぜ国家がわざわざコピーの容易なデジタル情報などを
警察を使ってまで守る必要があるのか、まったく本末転倒だ。
つまるところ、我々の社会ではあまりにも侵害が容易なものは
長期的には権利とはなりえない。
テクノロジーが変化したのなら、それはそれとして受け入れて、
法制度のほうを変えるべきであり、
それによって、より生産的な社会システムを探すべきだろう。