当為概念とは「すべきだ」というもので、
存在概念とは、「である」というものである。
この二つはヒュームの時代からすでに無関係であると考えられている。
「空き缶を捨てるべからず」、あるいは「二酸化炭素減らすべし」という
社会的な当為概念については、
それに従えば社会全体のナッシュ均衡点はよりのぞましくなる。
しかし、従わない個人は自分の利己的な利益において、
低位のナッシュ解を実現するので、自分にもみなにも良くない。
つまり社会に広く存在する、囚人のジレンマ状況において、
行動の選択が可能なときに、社会的に望ましい均衡を実現するのが、
社会的な規範であり、当為概念なのではないのか?
これは、囚人のジレンマ状況という客観的な状況という存在と、
少なくても社会的な意味を持つ当為概念を結びつけるのではないか?
この方向で、人を殺すなかれ、その他の規範も導出できるように思うが、
これでヒュームは納得してくれるのだろうか?疑問は残る。