AIはスゴイっちゃスゴイが、、、
こんにちは。
いつも思っていることを、さらに繰り返し。
以前、成田さんの本を読んだとき、なんと「AIによって政治を決める」というアイデアが書いてあったが、マジで「バカなんじゃないか?」と思った。多くの素人さんたちと同じように、「AI」というものが一つあって、それがほとんど無限の計算力と論理能力、知識を持っているような前提なのだ。
実際のAIというのは、無数に存在するAIプログラムのことで、それは開発する会社・個人の数だけバリエーションがある。さらに、それはあえて言うなら人間と同じで、DNAに書かれた設計図が双子のように同じであっても、成長するにつれて学習環境と機会が異なれば、異なる反応をするようになる。今のAIならLLMに何を学習させるのかによって、成長した結果は異なったものになるのは当然だ。
この話を、運転特化型AIへのコロラリーを考えよう。各自動車(ソフト)会社の自動運転AIは、それぞれに異なる個性を持っており、「危ないが、早く着く」クルマと「安全だが、遅い」クルマなどに、値段(即時の演算能力)も含めてだんだんと分かれていくだろう。自動運転「AI」という抽象的な観念は現在の「自動車」と同じように、カテゴリーとしては存在しても、抽象的な単一物は存在しない。
近くテスラが「サイバーウェブ」を発表するようだが、おそらく人権意識の高いアメリカではまだ10年くらいは実用化しないんじゃないだろう。初期の自動運転は安全性をある程度犠牲にする必要があるので、まずは中国から実用化されるだろう。そこで、HuaweiとXiaomiのプログラムには大きな差があることがすぐにわかるだろう。
ということで、すべてがこの有り様で、つまりは「政治AI」などというバカなものは存在し得ない。政治活動の中でも、特に財の再配分はゼロサムゲームだ。さらにはどういった法制度の変更にも、必ずある種の既得権益層から別の(潜在的)集団への期待的な利益の移転を伴う。人々が同意できる単一のプログラムなどあるはずがない。その時のその場に応じて、資源の奪い合いは続くだろう。
ということで、このポストには特段に結論があるわけでもないが、要は「AIなんてただのプログラムだよ」、「世界はAIで便利になるだろうが、それは鉄道やコンピュータと同じ程度のもので、本質的に人間社会に変化はもたらさないよ」と言っているのだ。この辺を完全に勘違いしている人があまりにも多い。
AIのモデルが出て、それを動かす、あるいはそれを開発/改良する個人/会社は儲かるようになるが、だからといってリアルなモデルはいなくならないし、芸能人もいなくならないだろう。人は他人からの称賛やサービスを常に求めているからだ。100メートルを5秒で走る2足歩行ロボットはすでに目の前だが、人々は世界最速の100メートルランナーを称賛し続けるだろうし、その人物は常にスターであり続けるだろう。
どういう単純主義的な理由からかはわからないが、人々がおかしな未来の期待をしすぎなのだ。
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