kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

限界費用が下がっても

こんにちは。

 

歳を取ることの良い点は、これまでの人生が長いので、おおよその主張には過去に出会って免疫があること。同じですが、悪い点も、出会ったアイデアが多いので、驚きや興奮を感じなくなってしまうこと。

 

僕が大学生の時代には、もうトフラーが「第三の波」などの著作を著していて、これはいわゆる未来学だったし、あるいはポスト資本主義だったわけです。そのときは面白かったのですが、今同じ本を読んでも(当然ですが)新味はありません。

 

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭

 

 

さて限界費用が低減して、食べ物もクルマも家も安く作れるようになるというのは間違いありません。ユニクロの衣服はもう十分であり、それを越えるワークマンの防寒能力は、ほどんどの人にとっては不必要な気がします。

 

で、ファンションやハイブランドはなくなったのでしょうか?? 

 

いやいや、いまでもファッション雑誌は普通に存在してますよ。ますます空港でも銀座でもハイブランドは頻繁に見かけるようになり、LVMHのアルノー会長は世界一の富豪として有名になっています。

 

 

人間は競争が好きなので、あるいは(残念な気もしますが)競争するように生まれながらにプログラムされているので、「より良い」衣服、クルマ、家などを求めることはなくならないだろうと思います。学者や思想家以外で、「もういらない」と言っている人はいないのでは?

 

家の建築費用が下がったとしても、誰でもが会社から10分の場所に住めるようにはならないでしょう。物質が有り余る社会では、ステータス財・顕示的消費財の価値が上がることになって、今と同じように、人々はそうした財 (e.g. 六本木ヒルズに住んで、ランボルギーニに乗ること)のために高い収入を求めるでしょう。

 

もともと庶民にとっては老後の2000万円が心配なのであり、それは「人並み」の生活への欲求であり、抽象的なカロリー摂取に必要な金額などではありません。多分現代人の生活の快適さは、中世のどの王様とも比べられないレベルですが、人々は相変わらず競争し続けています。

 

よく言われているように、「低収入の男子は結婚していない傾向があるが、それは子育てにお金がかかるから」です。が、そうした主張をしている人の書いたものをよく読んでみて下さい。典型的な「子育てに必要なお金」には、英語やスイミングなどの習い事、塾の学費、私立大学の学費など、他人からのサービスを受ける費用が含まれていて、単純な消費財はそれほど重要ではありません。こうした場合、人件費を主体とするサービスを購入するには常に人並みの収入が必要になるので、結局は人より高い収入を求めることになるのではないでしょうか。

 

結局、ボクの結論は、「確かにこれからも消費財の価格は相対的に低下し続けるが、それはポスト資本主義とは関係がない」というものです。すでに国際価格では、100円で必要摂取カロリーは満たす穀物は買えます。hard offで古着を買って、都心から2時間の郊外で築50年のアパートや空き家に住めば、それほどの現金収入はなくても「ただ生きる」ことはできるでしょう。それで良いと思うかどうかは、その人次第ですが。

 

現在の資本主義経済が格差を拡大するようになっているのは事実ですが、それは革命にはつながっても、その後も、単に別の(おそらくはるかに抑圧的な)政治形態下での資本主義が継続することは疑いないでしょう。

 

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