kurakenyaのつれづれ日記

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AIロボが働いて、人間は遊ぶだけ?

こんにちは。

 

いつもAI関連の記事を読んでいるが、何が奇妙だと思うかといえば、多くの人が

 

1.特定の問いに対して、AIによって「一つの」答えが出される

2.AIが働くので、人間はいらなくなる

3.AIが働くので、人間は遊ぶだけになる

 

とか、すべて完全に間違ったことを予想していること。

 

1について言えば、AIって、つまりはただのプログラムだから、ChatGPT3.5と4oでは違う答えが出てくるし、Geminiその他の会社のものも違う。処理されるデータの経過によっても違う。結局は、まったく異なる「人間」と同じように、一つの問いに対して、異なる答えを出すことになる。一体どうして、「AIが政治による意思決定を不必要にする」などという、成田山のようなおかしな空想を抱くのか??

 

2は、「いらない」という意味がよくわからない。AIは誰かの所有物だから、その生産物や少なくとも一部は所有者のものになるだろう。貧富の格差がある限り、人間は何かサービスなどを生産して、より多くの商品・サービスを買おうとするだろう。人間は要らなくならないよ。 だいたい、不思議なのは、人間は今でもまだまだ所得が少ないと感じているのに、一体なぜ「働かなく」なるのか? 夢を見ているのか、現実が見えていないのか。

 

 

3は2のコロラリー、あるいは同じことなのだが、なんでこんなことを考えるのか? AIロボットが色々としてくれるとしても、それを修理したり、あるいは最終的には「最新型の」AIロボットを開発、生産、所有するために人は働き続けるだろう。どうして人間の欲望に限りがあると考えるのか?

 

マルクスは19世紀なかばにすでに「資本主義は生産過剰に陥っている」と認識していた。だから恐慌が生じるのだと。これはいまでもケインズ派の生産能力の過剰理論につながっている認識だが、まったくの間違い。だって、200年経っても、今持っているものでは、まだまだ満足していない。いつになったら、その「過剰」とやらの世界が来て、満足すると言うのか? 

 

生産能力の「過剰」とかの寝言を言ってる人は、とんでもないバカだ。歴史的に見れば、今は存在しないような、しかし次世代の人々が絶対にほしいと思うような、商品は常にある。例えば、2010年代以降のスマホのようなもの。想像力のない人たちは、常にそうした「次の時代の商品」など存在しえないと、(自らの想像力の貧困のために、漠然と)考えているのだ。

 

「機械が人間の代わりに働いてくれるので、人間は働かなくて良くなる。遊んで暮らすようになる」というのは、社会主義と同じように、永遠の幻想だ。新しい機械の出現によって特定の作業が機械作業になると、機械ができない作業を人間がするようになる。

 

www.gizmodo.jp

今でも性産業なんかは、即座にロボットには取って代わられる感じはしない。もちろん、今でも2次元で満足する人がいるのだから、近くロボットで満足する人はたくさん出現だろう。それでも、全員がロボットと永遠に生きたいとは思わないだろう。もちろんロボットなら、いただきリリちゃんには引っかからないのだろうが、、

 

 

ヒトはサルだから、しょせんは他人からのさらなる称賛(あるいは異性からモテることなど:地位財)を求めて働き続けるだろう。そう考えないのは、よほどオメデタイ。

 

最後に笑えるのは、マルクスのように「社会には十分な生産力がある」という人に限って、その格差をなくそうとすること。資源は常に我々の願望よりも少ないからこそ、取り合いになるのであって、誰もが無限に豊かなら、格差など存在しえないから、格差問題そのものがなくなるはずだ。格差を問題にする人は全員、「社会には十分な生産力がない」ことを前提として議論をしている。

 

もし仮に、彼らが生産財という物質そのものではなく、「地位財」について語っているのなら、それはそもそも解決不可能だ。それは定義によって、平等を実現することのできないものだから。

 

ようするにnirvana 涅槃は実現しない。今のところ、人間ができるのは、まだ自分で稼ぐことのできない子供などの、絶対的な物質の欠乏を防ぐことくらいだろう。

 

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