kurakenyaのつれづれ日記

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「最愛」はステキだ

こんにちは。

 

自分時間ではamazon primenetflixを見ているが、アマゾンから「最愛」というTBSのドラマがオススメされたので見てみた。

 

ミステリー小説を読んでいて、いつも思うことは、「そりゃー、ありえね~だろ。偶然が重なり過ぎだ!」というものだ。この話もそういう部分はあるが、それにしても確かに弁護士である加瀬さん(井浦新)の「最愛としての献身」には、マジで感動した。これは、ほとんどありえない状況で起こった、考えうる人間心理の極限を描いた傑作だと思う。

 

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なお余談だが(悪口を言いたいわけではない)、神経細胞に関する新薬開発が新興企業によって、たかだた24億円のゴミみたいな金額でできるはずはない。グリアからニューロン細胞の機能回復などというだいそれた機能を持つ新薬であれば、phizer, smith-cline beacham, novartisなどの大企業が、おそらくその100倍、2400億円はかけている。周辺的な生化学や物質合成についてのノウハウが必要があり、最低でも1000億から1兆円ほどの額がないと開発も治験もできない。ドラマで描かれるラボがあまりに小規模・貧相で、「これはありえねー」。さらなる言いがかりとしては、僕は富山の西部の出身なので白川郷五箇山もとてもよく知っている。なので描かれたロケ地の場面や状況、ウソ景色のCG的なありえなさも気になってしまった。

 

しかし、そういうことは結局のところ、このドラマの核心にとってはどうでも良い。

 

感動的な小説やドラマは、「人生のすべてを、あることや人に捧げる」というテーマが多い。これは見ていると本当に感動的なのだが、ホントにそんな人生を送る人がいるのか?? という疑問は残る。自分の人生でも、その場かぎりの目的などで生きてきて、それはせいぜいが5年、10年程度だ。人を愛して、守ることを人生すべてで通じてできるのか? それが感動の源泉でもあるが、同時に疑問を感じるところでもある。

 

現実の人は刹那的に生きている。もし愛のために人生のすべてを捧げることができるなら、それは素晴らしいだろう。でも僕はリアルな話として、人生の長さ(たぶん50年ほどか)のすべてをかけて、誰かを愛するというすばらしい話を知らないし、想像できない。だからこそドラマや小説としては、感動するのだろう。可能なはずの人間性の高尚と、現実・リアルな人間の低俗性を考えさせられる話だった。

 

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