kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

時計の話

1昨日は暗い話になってしましました。

 

 

ので、今日は昔から考えてきた「本質主義」essentialismについて、個人的なバカ話と一緒に。

 

 

ボクが生まれて初めて(機械式)時計を買ったのは、たしか中学1年のときでしたが、それはまったく使わないままに終わってしまいました。本当に使い始めたものは、高校入学時に買ったカシオの多機能時計で、これは1万円の安物でした。いわゆるチープカシオね。アラーム、ストップウォッチなどすべての機能が入っていて、お気に入りとして、大学入学まで使いました。確か、こういうようなヤツ。

 

 

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本題に入ると、10年前にもリバタリアン宣言で書いたことですが、なぜローレックスのような時計が存在するのか?? 

 

ブルームバーグ報道によると、ローレックスは年間5000億円は売り上げているようですが、カシオは時計だけでは1800億円と、3分の1ほど。カシオ+シチズンセイコーで、ようやくローレックスの売上に届くくらいです。

 

まあ、実用品として考えてきた日本とジュエリーとして考えてきたスイスが対等でないのは当然かもしれません。ちなみに最近は、グランドセイコーなんかはローレックス路線ですね。(ちなみにローレックスはボクもフェデラー好きなので、それはそれとしてなるほどと理解しているつもりではあります。ただ自分がエスタブリッシュメントではないだけ)

 

 

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ではプラトン的な意味での、時計の本質とはなにか。多分1970年代のクオーツ以前は話が簡単だったのです。トゥールビヨンなどのコンプリケーションや、ローレックスの語るサブマリーナにしてもデイトジャストにしても、エベレスト、宇宙初などにしても。しかしスイスの時計のかつての伝説は、すべて当時一流の「機能」であり、それをウォッチブランドは今でも語り続けます。

 

 

でも、もうそれは崩壊してしまい、時計産業は単なる宝飾品になってしまったということなのでしょう。

 

 

ところで、そうした商品の質的な変化を客観的にどうやって知るのか? 売上に占める製造原価と広告費を見ると、LVMHなどは原価が低く、広告費がやたらと多いこと、そして利益率が30%ほどと、とても高いことがわかります。確かに、世界中の空港を歩くと、スーパーモデルの着飾るブランドの広告ばかりが目に付きます。

 

 

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実際には、計時機能に代わる新たな本質主義が見出されるのは、アップルウォッチでしょう。ヒマ人なボクは、アップルデバイスを使ってないのに、アップルの発表会をいつもyoutubeで見てます。で、前回2018年の発表会にはうなりました。心電図の健康管理、緊急自動コール、おまけに決済機能など、これこそ新たなるリストデバイスの地平を作り出したと言えるでしょう。実際、すでにアップルはNo. 1の時計メーカーになっているんです、オドロキ。

 

 

時計というものを規定してきた計時機能を突き詰めた先には、あらたな市場は広がっていなかったのは、何というか残念ですはあります。精度を極めた東京オリンピックセイコー、ムーブメント生産を制したシチズン、タフさを極めたカシオ、どれもが時間に徹底的にこだわっていたのです。しかし、、、、うーん、まるで釈迦の手のひらから出られなかった孫悟空のようです。

 

 

さてタイムピースの話に戻ると、人間は子供の頃の印象から抜け出ることはあまりないし、それで良いのでしょう。チャレンジャーとしてのチープカシオで始まったジャーニーが、エスタブリッシュメントのRolex、さらにはLange & Sohne やVacheron Constantinに向かうというのも悪くはないのかもしれませんが、お金がないのを奇貨としてこのままG-shockで行くつもりです。

 

最後に今思いついたのですが、カシオには人生最後の火葬場の1000度の炎にも耐えられる時計にトライしてもらいたい 爆

 

 

では、次回は去年、クルマを乗り換えた話について。

 

 

 

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