こんにちは。
いつだったか伊坂幸太郎の「重力ピエロ」という作品を読んだことがある。空気感というものが伝わるのだが、ボクが感じるリアリティというものがひじょうに希薄で、「??」と感じた。まあ、フシギ感が残ったというほどか。
で、今日の自分は何を勘違いしたのか、一日をかけて「オーデュボンの祈り」という伊坂さんのデビュー作を読んでみた。
うーん、これはシュールだ。150年以上も途絶した離島があって、そこには未来を予測するカカシや、勝手に悪人を殺すオトコなどがいる。すべての解説が??の連続で、話の流れを理解するのも一苦労だ。
ボクの稚拙な感性では、伊坂幸太郎の作風は、村上春樹のそれにひじょうに近い。文章の論理や記述そのものが、どうにも理解できないのだ。言うならば、ほとんどの内容や文章がoximoronで構成されているとさえ、感じられる。
Oximoronとは、例えば「耳をつんざくような静寂」、「目もくらむような漆黒」みたいに、表現はできるような文章。どうにも論理的・感覚的には理解できないシュールなもの。
こういう作品を読むと、ポスト・モダンのフランス構造主義哲学と同じように、人間の感性には実に多様なスタイルがあって、自分にはまったく理解できないものを楽しむ人が多いことがよくわかる。
こうした世界の多様性そのものが、実に興味深い、、、
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