kurakenyaのつれづれ日記

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プロといってもレッスンプロ

こんにちは。

 

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まあ PythonC++でプログラムを組める大学生や、今ならSolidityでEthのプログラムを書ける学生と、源氏物語を学んできた学生が同じ給与というのは、現代社会では維持不可能な虚構だったことは間違いありません。

 

さて、ボクはこうした給与の算定は、大学にこそふさわしいと思います。これに関連した話なのですが、先日 旧知の友人と話していたら 彼が言いました。

 

「昔はプロになろうと思って研究していたけど、もうレッスンプロでしかないよね。」

 

ボク的には?? と思ったので、真意を聞き返しました。

 

「ほら、ゴルフでもほとんどプロなんていなくて、みんなレッスンプロじゃない。実力で食べていけないんだよ。教えて食ってるってこと。」

 

なるほどなあ。今日も大学で形だけの授業(らしきもの)をして、「はあー 疲れたぁ。今日も終わったか。」なんて感じているなんて ホントに情けない。いつの間にかレッスンするのが仕事だと思うようになっていたわけです、チャンチャン♪ 

 

でも 研究を仕事にするってどうやって??  

 

まあ、中世の大学なら「技芸」としての学問というのもありだったのでしょう。現代は、学会を含めて 非常に広い人間活動が国家権力に覆い尽くされています。なかなか大学という政府の延長部局以外で生きることはできないものです。

 

結局 彼が言っている中でのプロというのは、英米の冠教授のように(文科省の自己点検評価の作成、講義・教授会・委員会の義務とか)すべてを免責されて大学や研究所で研究者として生きている人です。例えば、ケンブリッジのLucas教授職とかですね。

 

以上、レッスンプロになった自分は、テニスプレイヤーを名乗れないという自虐ネタでした。でも もう今ならちょっとしたプログラムを組めば、(あるいはWatsonに聞くだけで) 研究 教育 事務 これまでの貢献度 なんかは点数化可能で、大学教員の給料も完全に透明化できる時代なのにね。

 

PS. 皆さん ニシコリvsフェデラー楽しみましょう。

 

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