kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

私立大学費は100万だが

風邪薬にも、いろんな種類のものがあって、価格も違う。


ドラッグストアに行くと、いろいろと風邪薬があるが、僕は総合感冒薬というものを信じていないので、アセトアミノフェンイブプロフェンの単位あたり単価の安い薬を買うことにしている。現実には、このやり方を実践し始めた時から、外国に行った時の持ち帰り品の薬を飲むのがいいということがわかっている。


薬は有効成分がわかっているので話が簡単なのだが、それでも有名な薬、(例えばタイラノール)は単位あたり単価が高いし、ノーブランドな無名なものは安い。このへんはメモリなんかと同じだ。


それでも、薬の宣伝で、「安い」ということを売りにする製薬会社はないように思う。命がかかっているから、価格弾力性が低いのか? それとも、人々は、「高い薬が効きそう」だという、効き目単位での逆転現象、あるいは高い薬のハローでも信じているのか?


では大学教育はどうか?


今日、友人と話していて、「お値打ちな大学」という宣伝文句というのは聞いたことがないねー? という話になった。東京や大阪に、「安くていい大学がある」という話は聞かないし、正直なところ、アメリカやヨーロッパでも聞かなかった。


しかし、塾の値段は多くの家庭で話をしているという感じはある。とはいえ、塾にしても、通うか通わないか、のオール・オア・ナッシングの要素が大きいようだ。高校でも、安い高校というのは聞いたことがない。あるいは、「安いからその学校に行っている」という表現も聞いたことがない。おそらく大学教育というのは、塾なんかより、もっと価格を無視した商品なように感じる。


これはなぜなのだろうか? 


安い大学をつくろうという話というのも、そもそも聞いたことがない。しかし、それはなぜなのか? (供給側の)学校法人の職員の思い込みやプライドからなのか? あるいは本当に(需要側の)人々から安い大学という存在への侮蔑を買うからなのか?


大学教員の平均給与は明らかにサラリーマンの平均よりも高い。それを半分以下にしたとしても、ほとんどの大学教員やそのタマゴたちには、他に働くオプションを持っていない(含む自分)。まちがいなく、十分に多くの教員が集まるだろう。


上智大学の30%の学費の大学を作ったら、もっと人を集めることができるのではないだろうか? ホントか??