kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

いろいろ意見は異なっていて難しい

僕もメンバーであるLJPでは、先ごろ小さな対立がありました。大枠で見ると、オーストリア学派をめぐる意見の対立のようにも思われましたが、誰にでもある種の思い込み、思い入れはあるはずなので、リバタリアンと言っても多様な主義主張があって、難しいものです。



さて今日は、さっき、なんとなくtwitterを読んでいたところ、kuuriさんが「デフレもインフレと同じように増税である」というように書いていたようでした。また「金本位制はそもそも成り立たない」とも書き、一応経済学を学校で教えているのだから、僕にそれを肯定しろといっているように思われたので、若干、思うところを書いてみましょう。


まず、インフレがなぜ政府の増収につながるのかといえば、

1)短期的、直接的には、貨幣流通量を増加させる際には、今バーナンキ氏が6000億ドルの規模で行っているように、現実には政府債務を購入することになるため、政府の民間債務を減らし(実際には消滅させる)。もっと、直接に書けば、政府がお金を増刷しているのと、まったく同じであり、その政府が購入した何かは、隠れた税として我々の社会から国家に徴収されたものだと考えられます。

こういったインフレ税の説明は、kyuuriさん自身によるランズバーグの翻訳@LJP

http://c4lj.com/archives/1474577.html

の内容とまったく同じで、非常にスタンダードなものです。

2)もうひとつはもう少し長期的な効果です。インフレが起こると、人々の名目所得が上昇するため、それに応じて直接税の累進課税率が上がり、それによってより多くの割合の所得が、税金となって政府のもとに集まることになる、と考えられます。これまた、別に異論はないと思います。


というわけで、二つの理由からインフレは隠れた税金の徴収であるとして、多くの経済学者(含むリバタリアン)が反対するわけです。


しかし、デフレはこの両方に当てはまらないので、税金の徴収にはならないように思われます。デフレが政府の増税であるという考えは貨幣理論からは出てこないし、少なくとも僕は聞いたことがないので、おそらく理論的にも成り立たないのではないでしょうか。


なお、僕はオーストリア学派を完全に支持しているというわけではなくて、

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20100726

という風に、僕自身のアイデンティティーとしては否定しています。あるいは多くのオーストリアンが支持する金本位制については、

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20080408

という程度の認識をしています。今の時点で、もう一度考えなおしてみても、金本位というのはゲーム理論的な均衡としてはあり得るかも知れないと思いますが、しかし別にそれがテキサス原油でも、あるいはその他の商品バンドルでもいいことはかわりがないように思います。

理論的には、オーストリア学派の主張する金本位制が成り立たないということはないでしょう。しかし、それが貨幣発行の完全自由化された社会での支配戦略になるのか?と言えば、そんな気もしないという程度でしょうか。

例えば、僕がこれから紙幣を発行しようとする銀行に呼ばれて、「どんな商品を兌換紙幣の裏付けとするべきか?」と聞かれるなら、おそらく「経済学者がスタンダードに計算する実質購買力で測った各国の貨幣価値を、その国の経済規模の割合に応じて採用して、紙幣による通貨バスケットを構成するのがまず第一歩でしょう。それからは、もっと資源価格などを取り入れて、バスケットをゆっくりと変化させていくのが良さそうです」という程度のお気楽な答えしか持っていません。


というわけで、このスタンダードな発想では、過激なリバタリアンとしては失格かもしれない(苦)のですが、とりあえず、ここに備忘録として書いておくことにします。