kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

抄訳:The 10,000 years of explosion

小生は「The 10000 years of explosion」を翻訳したくなり、
著者に問い合わせたところ、すでに日経BPが版権を入手したという。
というわけで、残念ながら小生が翻訳することができなくなったので、
過去数日間に2章の途中まで(無許可で)
超訳・抄訳していたのを公開することにしました。
続きを訳すかどうかは、また今後ゆっくりと決めたいと思います。

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1万年の(人口)爆発 - どのようにして文明は人類の進化を加速したのか

目次

1、Overview:これまでの知識

2、体内のネアンデルタール人

3、農業:大変化

4、農業の産物

5、遺伝子の流れ

6、拡散

7、中世における進化:アシュケナージユダヤ人はどのようにして賢くなったのか


1、Overview:これまでの知識

 この本で私たちは、過去1万年の間に人類の進化が加速していることを示そうとしている。それは過去600万年の人類の進化の100倍もの速さで進んでいるのだ。この間の人類の精神と体の変化はたいへんに速いものであり、アッカドサルゴン大王やエジプトのイムホテップは、文化的にのみならず、遺伝的にも私たちと異なっていた。これはラディカルなアイデアであり、植物が見ている間に成長しているというように思われるが、その証拠を提示してゆこう。
 科学者は長らく、ヨーロッパの4,5万年前の「大跳躍」における文化的進化が訪れた後は、重要な遺伝的進化は起きていないと信じてきた。そういった理論によれば、後期石器時代における道具や芸術、装飾などの発達以降は、自然選択の圧力から人類は自由になったというのだ。ちょうど、毛を生やすよりも服を着、体を強くするより武器をつくったように。
 「行動の進化」は、人類の進化を止めてしまったというわけである。これはちょうど、安定した外的環境が続けば、それにほとんど適応した形態を持つという理屈である。ランの擬態がハチにほとんどそっくりなように、人類も安定しているのだという。
 しかし、ヒトは過去5万年の間に大きな変化を経験した。アフリカを出て、南極以外のすべての大陸に放散した。ネアンデルタール人のような旧人類に出会い、駆逐するしたが、その過程で彼らからの遺伝子を獲得したに違いない。旧石器時代から新石器時代にかけての文化的な爆発は、新たな技術と社会制度を生み出し、文化自体が人類の重要な環境を形成し始めた。
 地理的な拡大と文化的な革新は、ヒトに新しい選択圧を加えた。多くの形質の有利さが変化し、最適な生活戦略も変わった。例えば、100万年前のヒトは大きな獲物を狩猟していたが、彼らは主に槍を使っていた。それは非常に危険であったため、狩猟民は筋肉質であり、骨格も頑丈だった。それはたくさんの食料が必要だという意味で高くついたが、しかし仕方がないものだった。しかし弓矢によってエネルギーがためられるようになると、筋肉と骨格を小さくしても大きな獲物を狩ることができるようになった。そうなると、軽くなった個体のほうが長く走れ、かつ少ない食料ですむために、より有利になった。南アフリカブッシュマンは最近まで狩猟採取生活をしていたが、弓と毒矢で何千年も行き続けてきた。彼らは150センチにも満たない小柄だが、耐久力がある細身の体を持つ。道具はヒトを造り出したが、弓矢はブッシュマンを創造したようだ。
 網やカゴの発明によって、世界の各地で魚が重要な食糧となり、それに応じて魚を食べることに適した人々がより適応的となった。体に密着した衣服は寒さに強く、局地への探索を可能にした。涼しい地域では、低温への生理的な防御機構はそれほど必要ないが、より寒い地域では、短い手足や高い基礎代謝といった防御が必要になる。調理への火の使用とともに歯が小さくなり続けた。土器の使用は食料の貯蔵を可能にし、その傾向を強めた。複雑な生物機構は、それが不必要になると次第に劣化する。そういった機構を破壊するような遺伝変異があっても、それが不利にならないからだ。この緩和された適応圧というのは、歯の縮小などの説明原理としては、あまりにもゆっくりとしたものだ。その代わりに、歯の大きさの変化などは、その有利性のために進化したと考えるべきだ。小さな歯は、より少ないエネルギーで作れる。
 人間の言葉が現代のレベルの複雑さになるにつれて、聴力への適応圧も高まったはずだ。それは耳の構造と脳の音声処理の両方を含んでいる。他人には聞き取りにくいような会話を理解することの利点を考えてもらいたい。盗み聞きは、時に生を死を分かつこともあるのだ。これには証拠もある。多くの内耳の構造についての遺伝子が、ごく最近の選択によって広まっているからだ。そういった遺伝子が大きく変化すると軟調になるため、容易に特定されている。複雑な発話の理解は詐欺を見抜くことが容易になるため、石器時代のペテン師を見破るのに役立っただろう。
 一般には、進化はひじょうに遅く、目に見えるような変化には何百万年もかかるという印象がある。現代的な自然選択の実例と化石と記録を見ると、進化速度は急速であることがわかる。環境に適応して変化しない時期に混じって、時折急速に変化する時期がある。この急速な変化期は、化石にはほとんど残らない。
 スティーブン・J・グールドがいう、5−10万年は「まばたき」の瞬間であり、「進化的にはどういった変化」も見ることができないというのは、単なる誤りなのだ。多くの証拠が、自然選択による、もっと短い時間での変化を示している。足元にいるイヌや、畑のトウモロコシは最近の進化の産物なのだ。
 もっと簡単な例は、家畜化された動物たちである。家畜や栽培植物はその祖先種から大きく異なっているが、それは10万年よりもはるかに短い時間で起こった変化だ。イヌは1万5千年前にオオカミが家畜化されたものだが、今ではどんな哺乳類よりも形や大きさが異なっている。
 イヌの行動も変化した。イヌは人間の声や身振りを理解するが、オオカミにはまったくできない。オスオオカミはメスとつがいをつくり、子育てに大きなエネルギーをさくが、イヌはまったく子育てをしない。これらの大きな違いは過去のわずか2世紀の間に起こった。ほとんどの犬種はその程度の歴史しか持たない。
 もっとも極端な例として、ロシアの科学者ドミトリ・ヴァレーエフはわずか40年でキツネを家畜化することに成功した。彼は、世代ごとにもっともおとなしい性質の(それ以外の性質は無視して)選ぶことによって、人と遊ぶのを楽しむキツネをつくりだしたが、キツネはまったく人と遊ぶことはない。ところが、このキツネは外見にも変化が生じた。毛色が薄くなり、頭蓋骨が丸くなり、耳が垂れてきたのだ。ある形質に関係する遺伝子(この場合はおとなしさ)が別の形質にも影響を与えたのだ。こういった副作用は多くの家畜主に起こってきたが、これから見るようにヒトにも起こってきた。
 食用植物の変化も同じくらいに目覚しいものだ。トウモロコシはテオシンテという野生種から育種されたが、過去7千年間の変化には目を見張るものがある。こういった変化は珍しいものではなく、現在も起こり続けている。進化遺伝学は、数十世代のうちにほとんどすべての形質が変化することを証明しているし、実際に確かめられてもいる。農業生産物は選択によって変化してきており、トウモロコシの生産量は上がり続けていることに疑いを入れることはできない。
 中には、自然選択と家畜や農作物の育種は関係ないという人もいるかもしれない。しかし、ある種の遺伝変異が有利になり、頻度が上がってゆくという過程は、人為選択でも自然選択でも同じだ。ただ、その程度が違うだけなのだ。さらに氷河期が終わってからの1万年間に起こった完全な自然適応の記録もある。

氷河期以降
 氷河期が約1万1500年前に終わると、大きな気候変化が北半球を中心に起こった。アメリカ南西部は温暖化し、乾燥化し、現在のような砂漠になった。もともとはアルゼンチン原産のハマビシ類が渡り鳥に運ばれたが、そのヤニをもつ葉や4メートルの深さになるち密な根は、他の植物よりも有利なものだった。これに伴ってハマビシを食べることに特化した動物も出現した。またハマビシの葉にそっくりなバッタも進化した。こういった動物は北アメリカ原産で、南アメリカ産ではないから、過去1万年の間に進化したものである。
 氷河期の終わりは、極地の氷を溶かし、数百メートル規模での海面の上昇を招いた。それに伴って、多くの島が陸から離されて、動物種が隔離された。そういった島では大きな肉食獣は消滅した。小さな象が進化したのは食物が少なかったからだろう。過去5千年間、象は高さ4メートルから約1メートル程度にまで、ひじょうに小さくなった。象の1世代は約20年であり、これは人間とほとんど同じであることは注目に値することだ。
 ただ小さくなったというわけではない。ジョン・トゥービィとレダ・コズミデス(進化心理学の提唱者)は、「ヒトの進化の歴史において農業は1%にも満たないのであるから、農業によって複雑な適応が進化した時間はなかった」と主張している。複雑な適応とは、複数の遺伝子が協調して発生する形質のことである。確かにこの時間では、ヒトは羽根を生やしたり、3番目の目を発達させたり、といった完全に新しいことは進化させられなかった。彼らは、ヒト集団内での大きな精神性の差異は存在し得ないといっている。
 この複雑な適応が存在しないという議論は正しいが、それは数個程度の遺伝子が関与する形質の重要性を過小評価している。ヒトが実質的にまったく同じであるという結論は肯定できない。ヒトは急速に進化し続けており、異なった集団ではその速度や方向も異なっている。それは累積することで、集団の違いはより大きくなっている。

イヌ
 もう一度イヌを見てみよう。イヌは急速な変化の代表例だ。イヌは農耕の始まりと同じころに家畜化されたが、その行動は祖先種であるオオカミの適応行動から派生したものだ。アイルランド・セッターは場所を指し示し、ボーダー・コリーは家畜の群れを追う。どちらの行動もオオカミの行動を精緻にしたものだ。オオカミが獲物をかぎつけると、群れの仲間にその場所を指し示す。コリーの群れ追いも、オオカミの狩りから発生したものだ。
 イヌはオオカミよりもよく遊ぶが、これは幼形成熟ネオテニーと呼ばれる)のせいだろう。小さいときの性質を維持するのは、まったく新しい性質を発生させるよりもはるかに容易なことだ。イヌが人間と遊ぶのは、群れのリーダーとの関係が変化したものだ。
 イヌの行動はすべてオオカミにその萌芽が見られるが、だからといってイヌのすべてがほとんどまったく同じ、あるいは似ているということにはならない。例えば、噛み付くことは、ひじょうに偏った性質である。アメリカでは1982年から2006年までにボーダー・コリーによる噛み付き事件は1件しか報告されていないが、テリアでは1110件にも上る。
 確かにイヌが完全に新しい複雑な適応を発達させることはなかったが、より小さな変化はすべての犬種で起こった。オオカミは出産のために穴を掘るが、ほとんどのイヌはそういうことをしない。オオカミの発情期は一定だが、ほとんどのイヌはそうではない。オオカミは食べ物を吐き出して子どもに与えるが、イヌはしない。オオカミのオスは育児を手伝うが、イヌのオスはしない。コストが必要な形質は、新しい環境でもとの利点が失われると急速に失われてしまう。洞窟魚は数千年で目を失ってしまうが、これは目が進化するのに必要だった時間よりもはるかに短いのだ。
 ある意味で、これらは機能の低下や強化、別の方向への活用などに過ぎない。こういった変化はエラやソナーなどの驚異的な機能は持たない。イヌはいまだに種として単一であるが、その形態や能力は大きく多様化している。例えば学習能力は、10倍、あるいはそれ以上に異なっている。コリーは5回も命令を繰り返せば95%が反応するようになるが、バセットハウンドでは100回繰り返しても25%にも満たない。

ダイヤルと取っ手
 同じように人類の進化はせいぜいが一度の変異によるものだ。例えば、4章で説明するように、特に北ヨーロッパの肌の薄い人々はメラニン合成の遺伝子を失っている。
 それはちょうどスイッチを調整したり取っ手を回したりするようなものだ。かつて不可欠だった形質は常にスイッチが入っている。カプターゼ12遺伝子による乳糖耐性のように敗血病のリスクを高めるものは、完全にスイッチが切れる。赤血球上のレセプターによってマラリア耐性を与えるダフィー変異のように、ある集団にのみ残っているものもある。あるいは、唾液中のアミラーゼ濃度のように11倍にも変化した形質もある。
 また3章で説明するように、遺伝子によって頻度依存的に利益が変化するタカハト戦略のような行動もある。最近の環境の変化は、ある種の行動のリターンを変化させたかもしれない。そういった変化はすべての社会性動物に存在している。イヌはオオカミの行動パターンのうち、家畜化において有利になった形質を受け継いでいる。オオカミにはリーダーになろうとするものと、自然とリーダーに従うタイプのものがいるだろうが、イヌは後者のタイプが多いだろう。人間の集団間の違いは、こういったイヌの違いと同じだと考えられる。確かに複雑で新しい適応が生じているということはないが、チワワとグレートデン、あるいはトウモロコシとテオシンテほどに違う変化を起こしえる程度に異なっている。農業に伴う生活様式に応じて大きな違いが生じえるのだ。
 過去5万年に進化が起こったというのは、理論的に可能であるにとどまらず、可能性はきわめて高い。人々の外見が異なっていることからして、それは明らかだとも言えるだろう。特に地理的な障壁があったり、大きな距離の違いがあれば、集団には大きな外見上の差が生じる。フィンランド人とズールー族を見間違えることはない。すべての人類はアフリカ起源であるから、遺伝的な変化が起こったといえるのだ。
 時に人間の違いは、肌や髪の色のような表層的なものでしかなく、肝臓組織や神経細胞などには及ばないと主張される。多くの識者がそういった意見を繰り返してきたし、あるいはそれらの違いは性選択によるものだというものもいる。しかし、専門化が骨から人種を言い当てることができることからは、骨格にも違いは及んでおり、4章で説明するように神経組織の発達にも違いがある。
 かつての人類学が表面的な差異に注目したことには理由がある。そういった違いは明確であったためだ。しかし、表層的でしかなかったのは科学者に責任があるのであって、際が表層的でしかなかったわけではない。
 リチャード・レウォンティンが1972年にすでに主張したように、確かにヒト集団の遺伝的相違は、集団内のほうが集団間よりもはるかに大きい。約85%の変異は集団内で見出される一方、15%が集団間の違いである。これを根拠にヒト集団の違いは大きいはずがないというものもある。しかし、イヌにおいても70%の変異は集団内にあり、30%しか集団間にはないのだ。レウォンティンの議論では、グレートデンの個体差はグレートデンとチワワの違いよりも大きいことになるが、それは明確に誤っている。
 確かに遺伝的な変異の違いはレウォンティンの指摘どおりだが、その解釈は誤りなのだ。遺伝子の分布は形質の差の重要性や大きさについてほとんど何も語らない。体重、体の強さ、スピード、肌の色は実在し、遺伝子的な統計からはそういった違いを予測できない。
 重要なのはこれらの遺伝子の相関関係なのだ。集団間の差異がある特定の方向に偏っているとき、その集合は大きな差をもたらす。例えば、イヌの成長遺伝子にはたくさんのものがあるが、成長をもたらす遺伝子はグレートデンに圧倒的に高頻度で見られるはずだ。チワワには成長を抑制する遺伝子が多いだろう。チワワが特定の成長促進遺伝子を持っていることはあるだろうが、そういった成長遺伝子の合計はチワワを小さくするのだ。間違いなく、どのグレートデンも一番大きなチワワよりも大きいことは間違いないだろう。同じように、砂漠のある日に雨が降ることはあるかもしれないが、平均すれば年間降水量は少ないのである。
 さらに、ヨーロッパ人とアフリカ人のマラリア耐性を比べてみよう。熱帯性マラリアに耐性をもつ鎌形赤血球の変異を持つナイジェリア人はいるが、ヨーロッパ人にはいない。しかし、鎌形赤血球を持たないナイジェリア人でも、どんなスウェーデン人よりもマラリア耐性も持っているのである。これが自然選択の典型的な結果である。つまりある一定方向への相関を持つ遺伝子の変化なのだ。
 たった一つの遺伝子の違いが致命的な遺伝病を引き起こすように、家畜化がただひとつの遺伝子によって可能になることもある。例えば、野生のアーモンドはアミダリンという苦い化学物質を持つが、この毒素は2,3粒食べれば致死量にいたる。育種されたアーモンドは一つの遺伝子の突然変異によって、この毒をつくらなくなった。
 こういった違いはDNAが料理のレシピのようであるために、あるいはコンピュータ・プログラムのようであるために起こる。一つの遺伝子は大きな変化をもたらすことがあり、例えば小人症はその極端な例なのである。
 体や精神への遺伝的な相違の効果は、集団間の違いと集団内の違いの比較によって異なったものとなる。大きな効果を持つ遺伝子は、小さな効果のものよりも当然に重要だ。レウォンティンがいうような、単なる数値だけでは決められないのだ。ヒトは10万年という、かなり最近に共通の祖先を持ち、アフリカを出てからも5万年しかたっていない。よって現存の大きな違いは、選択された対立遺伝子には大きな利益があったと考えねばならない。それが集団遺伝学の意味するところであり、遺伝子はそれを裏付けつつある。薄い肌の色や青い目はそれを引き起こす遺伝子があり、それが有利でなくてはならなかった。「大きな利益」というのは、2,3%程度の適応度の違いでしかない。肌の色の(SLC24A5)、目の色(HERC2)、乳糖耐性(LCT)、耳垢の乾燥タイプ(ABC C11)、などはすべてこの程度であろう。
 もっと新しい変異もある。アメリカインディアンは1万5千年前に分岐しているため、彼らの違いははるかに大きな適応度の違いを反映している。最近になって頻度が上がった遺伝子は適応度が高かったのだと私たちは信じている。例えば、目の色遺伝子OCA2はヨーロッパとその周辺にしか見られないが、何らかの適応価を持っていたはずだ。乾燥した耳垢は中国や韓国に見られるが、ヨーロッパではまれであり、アフリカには存在しない。こういった遺伝子は多く、集団間の変異の多くがこれに当てはまるだろうと思われる。例えば、北アジアに見られる厚いマブタ(内眼角贅皮)は、最近の強い選択によるものだと考えられる。
 こういったことは4万年前の人類が10万年前とは大きく異なっており、歴史時代とも異なっているということだ。分子生物学の到来前には、遺伝的な進化はほとんどわかっていなかった。よって明らかな差異や鎌形赤血球貧血、その他に注意が集中していた。しかし、育種の歴史は1万年以下でも大きな変化が起こることを示している。小さな遺伝的な相違が大きな差を生み出す。たった一つの遺伝子が、まったく異なった生活史につながる種もいる。フシアリは一つのフェロモン受容体があるかないかによって、女王が1個体だけのコロニーを作るか、多くの女王がいるメタ・コロニーを作るか決まるのだ。ヒトでも同じで、どれだけかの違いは肌の色、代謝量、形態、大きさに違いがある。
 生物学の分子革命によって、現在もなお遺伝子が置き換わりつつあることが判明している。異なった集団は異なった遺伝子を有利にしているのだ。こういった知識は氷山の一角でしかない。

つながり
 最近の多くの研究はHapMapと呼ばれる、遺伝子の多様性についての世界規模の研究者データベースを使っている。90人のナイジェリア人、90人のヨーロッパ系アメリカ人、45人ずつの北京と東京の住人である。
 多型の存在する遺伝子座のつながりはハプロタイプと呼ばれるが、これは世代が進むたびに有性生殖の過程でシャッフルされる。ヒトの場合、1世代ごとに1染色体につき1−3箇所の切断が起こる。これによってつながりの連続が長いほどに、最近の遺伝子変化であることがわかる。
 ハプロタイプが長いほどに最近の選択圧が高かったことを示唆している。つまりシャッフルしなおすだけの十分な時間がたっていないのだ。例えば、乳糖を分解する酵素の遺伝子がある。多くの動物がそうであるように、ヒトでも大人になると乳糖を分解する酵素が出なくなるが、ヨーロッパ人やその他の人々は一生酵素を作り続ける。これによって牛乳を飲めるのだ。この乳糖耐性遺伝子が生まれて、せいぜい数千年しか経っていないため、ヨーロッパ人はほとんど同じハプロタイプを持っている。変異を取り巻く遺伝子は100万以上の数に及んでいるのだ。
 最近の研究によると、多くのハプロタイプはひじょうに新しい。中国とヨーロッパでは、その発生は5500年前、アフリカのサンプルでは8500年前が最大となっている。過去数千年の間に多くの変異が発生し、それが広まったが、それは肌の色、代謝、病原菌耐性、神経系の特性など多くの形質を含んでいる。
 現在ではチンパンジーのゲノムも解読されているので、長期的な変異の速度に比べて最近のヒトの遺伝子の変化が加速したことがわかっている。過去数百万年間の進化速度に比べると過去数千年間では、百倍以上の速度で変化が起こっている。もしこれほどの速度で進化が数百万年も続いていたとするなら、チンパンジーとヒトははるかに異なっていたことだろう。
 さらに最近発生した対立遺伝子は頻度が中程度(20%−70%)であることからは、進化が最近に急速に加速していることがわかる。有利な遺伝子が一個体から集団に拡散するためには時間がかかる。中間的な頻度の遺伝子の存在は、そういった遺伝子が拡散するための時間が十分でなかったことを示唆する。もしも進化がゆっくりとしているなら、一つの有利な対立遺伝子の頻度は長い時間があるために、ほとんどが100%に近づいているはずであるからだ。
 この加速化する進化の理由は、技術革新を可能にしているような遺伝的変化だろう。洗練された言語の使用がそれだったのかもしれない。(それは変異あるいは、交雑の結果であろう。)それは創造性を高め、さらなる進化的な変化につながった。ちょうど、最初の羽根が昆虫に発生してからハチが生まれ、多くの甲虫に生じたように。
 大きな技術革新はすべて更なる淘汰圧を生み出し、それがさらに進化的な変化につながる。その際たるものが、農業革命であった。

2、内なるネアンデルタール人

 現生人類がアフリカから拡散する過程で、彼らはネアンデルタールなどの旧人類に出会ったが、それらを放逐していった。ヨーロッパでは、は4万年前にネアンデルタール人の住む地域の北東側に住み始めた。そこはマンモスの住む平原であり、ネアンデルタールには寒すぎた地域である。おそらく針と糸による衣服がこれを可能にしたのだろう。
 その後、現生人類は南西に広がり、ネアンデルタールに置き換わった。生態系において同じような地位を占めているため、どちらかが勝つしかない。南スペインでネアンデルタールが絶滅するまでに1万年かかっている。
 結果からするとはどこかが優れていたのだろうが、それが何であったかはわかっていない。いくつもの説があるが、あるいはそのどれもが正しいのかもしれない。
 1つは、が槍などに加えて、投げられる武器を持っていたというものだ。これによって体格の軽いもネアンデルタールと同じように狩りができたが、より少ないカロリーしか必要としなかった。オーリニャック文化(32000 B.C.- 26000)はこれを示唆している。あるいはがより知的に優れていたのかもしれないが、これは証明できないだろう。
 もっとも人気があるのは、が話すことができたという仮説だ。部族間のコミュニケーションが可能になったことで有利になったというものだ。狩猟採集民は縄張りの地形や、動植物の特性について多くを知っているものだが、その知識は世代を超えて伝えることができる。洗練された言語の使用によって、そういった知識を伝達できたことによって道具や武器をより高度に作れるようになったのだろう。
 アフリカでもヨーロッパでも、道具となる石をはるか遠方から運んできた形跡が見られる。ネアンデルタールはそういうことをしなかった。これはあるいは言語によって可能になった貿易によるのだろう。言語によって、貿易を含む大きな部族間連合の形成を可能にし、それが不可能な部族を追いやることができる。
 どういう理由であったにせよ、ネアンデルタールの絶滅が劇的であったことはないだろう。モスクワからマドリードまでは3500キロもないが、それを1万年で制圧するということは、勝ったり負けたりが長い間続いたということを意味する。あるいは飢餓の時期に、軽い体格と魚を食べたりするということが幸運を招いたのかもしれない。これらのすべてが関係していたということもあるだろう。
 その他にも、生物的な利点にはもっと後味の悪いものやつまらないものもある。一つのありそうな仮説は、はアフリカから放散する際に、ネアンデルタールにのみ有害な疫病や寄生虫を持っていたというものだ。バイキン理論とでも呼べるだろう。ウイルスは化石化しないため、証明は難しいが、オジロシカの脳内寄生虫はそれほど有害ではないが、ヘラジカにとっては致命的となるため、オジロジカはヘラジカを駆逐している。アメリカのハイイロリスがイギリスに持ち込まれたとき、そのウイルスがイギリスのアカリスを激減させたこともある。
 時に、ネアンデルタールはよりも劣ってはいなかったのだという説を聞くことがある。そういう考えは人種差別的だというのだ。50万年前に分かれた別種を形成する集団が異なっているのは、疑い得ない事実だ。これについては、がネアンデルタールの遺伝子を持っているのが人種差別手だという人もいれば、持っていないのが差別的だという人もいる。
 とネアンデルタール人が同じ場所に住んでいたという証拠はないが、接触はあったと考えられる。中部から南西ヨーロッパにかけてのシャテルペロン文化期(35000B.C.- 28000B.C.)はネアンデルタールのムスティエ文化期の石器とのオーリニャック文化が混じっている。シャテルペロンという名は、フランスのシャテルペロンの町に近いフィース洞窟に由来する。シャテルペロンの遺物は、ネアンデルタールのムスティエ文化の特徴である火打石の技術と、の道具が混じったものだ。特徴の一つは、片刃の火打ちナイフであり、これはオーリニャックの両刃ナイフとは異なったものだ。シャテルペロン殻は完全にネアンデルタールの骨格が見つかっており、彼らがから技術を学んだことを示唆している。これが本当なら、彼らの認知能力はからそれほど劣っていなかったことになる。少なくともチンパンジーよりははるかに優れていただろう。
 こういった接触からは軽蔑も生まれたかもしれないが、同時に重要な結果ももたらした。

ビッグバン
 スタンフォードの人類学者リチャード・クラインによれば後期石器時代とは、最も根本的な変化が起こった時代だとされている。それはヨーロッパでは3−4万年前に起こり、まったく異なった性質のことが一挙に噴出したようなものだ。絵画、彫刻、宝飾などが道具や武器を彩り、それらは創造性と発明の急速な進化を示している。
 こういった技術革新は、社会的・文化的に根本的な変化が起こったことを示している。道具とともに制度も変化したのだ。矢じりや削器の原材料ははるかな遠方から運ばれるようになり、装飾には各地の特徴が見られるようになった。
 この時点で人々は、その2万年前の人々とは大きく異なった活動をし始めたのだ。大きな技術革新が起こったというとき、すべての人が発明をするようになったということはない。しかし、少なくともわずかな人たちがおそらく百倍という規模で新しい考えをもたらすようになったのだ。なぜなのか?
 アフリカ起源のであったというだけでは十分ではない。オーストラリアではこういったことは起こらなかったのだ。明らかに、遺伝的に重要な変化が起こり、旧人類を滅ぼしていった。骨格的なというだけでは、こういった変化には十分ではなかったのだ。
 一般に、行動とは物理的な基礎となり、文化を拘束する。イヌにポーカーを教えられないのはそのためだ。農業を行うにはかつての間氷期は十分ではなかった。12万年前からの間氷期のどこにおいても農業は行われていない。しかし、1万年前からの完新世間氷期では独立に7度農業が始まった。また以前の間氷期には人類はアフリカからより涼しい機構の地域へと脱出していない。生物学的に、彼らには弓矢や衣服を作ることができなかったのだ。それらなしではのような狩猟採集生活は難しい。ヒトは大きく違ってきているのである。
 遺伝的な変化は10万年前に付加のだったことを4万年前には可能にした。後期石器時代の「人類革命」あるいは「文化的爆発」、あるいはビッグバンは生物的な変化に由来するのだ。
 私たちだけでなく、リチャード・クラインも、文化の複雑化は変異がその原因だろうと言っている。私たちは、それにとどまらず、遺伝交雑がその原因だと考えている。


新しく改良されたもの
 では、後期石器時代の技術革新のどこが新しいのか。新たな材料から作られた、何段階もの作業を必要とする新しい道具である。現生人類はさらに象牙や骨も使う。さらに何百キロも遠くから材料を運ぶことは、貿易活動を示唆している。新しい種類の軽い武器は速く投げることが可能になり、投げ槍やボーガン、さらには弓矢となってきた。遠くから獲物を狙えるため、狩猟の安全性は増した。投げ槍は戦争にも使われただろうが、それでも主に狩猟に使われただろう。それによって食料の多様性も増大した。
 現生人類は大きな獲物だけでなく、小さな獲物や魚も捕獲する。これによって人口密度は上がり、さらに魚の捕獲のためにネットやカゴ、先の分岐したモリなどが発明された。これはまた植物繊維からカゴや布、ロープなどを作ったことも意味する。
 食料の保存についても、永久凍土に穴を掘り冷蔵庫の代わりにした。暖炉についても、空気の流れを考えて効率化したり、石を加熱して調理に使った。火を使ってランプにしたり、土器を作ったりもした。
 明らかに儀式というべき埋葬も、後期石器時代には頻繁に見られるようになった。貝や道具、装飾、赤土などが一緒に埋められ、それらの中には大きな労力を投入したものの場合もある。モスクワ近くのスンジルでは、のべ人数で数年・人はかかるような象牙のビーズによって装飾された遺体が見つかっている。これは階級の分化を示唆しているが、装飾物も武器も見つかっていないことから、埋葬をしなかっただろうネアンデルタールとは大きく異なっている。
 現生人類はまた、建築も作り始めた。チェコのドルニ・ベストニーチェでは、マンモスの骨や石灰岩のブロック、杭穴によって100平方メートルになる遺跡が見つかっている。ロシアとウクライナでは石灰岩の洞窟がまれであったため、マンモスの骨で住居がつくられた。中には23トンの骨が使われた家もある。
 後期石器時代の最大の変化は芸術だろう。スペインやフランスの壁画がそれである。野牛やシカ、さらにはライオン、クマ、ハイエナなどが描かれている。墨や赤土の壁画では、ヒトはとても奇妙に描かれているが、動物たちは、きわめて自然主義的に描かれている。
 彫刻もこのこと現れた。ウィレンドルフのヴィーナスはもっとも有名なものだが、これは持ち運べるポルノだったのかもしれない。ドルニ・ヴェストニーチェでは、他の地域で土器が発明される前の29000年前の焼き物の人形が見つかっている。
 これらの芸術は、アフリカ時代のそれとは質的に異なっている。南アフリカのブロンボス洞窟に刻まれた7万5千年前の壁画は、アフリカを出る以前におけるもっとも洗練されたものだとされているが、それは3万年前にドイツでマンモスの象牙から作られたライオンの頭部の彫刻とでは、まったく比べ物にならない。

融合
 道具や武器、狩猟方法の大きな変革は社会的・文化的な変化をも意味するが、まったく偶然に生じたものではない。それを可能にした遺伝子の変化が存在したのだ。私たちは、それはネアンデルタール人との交雑だと考えている。それが有用な遺伝子を獲得するのに、一番手っ取り早いからだ。
 これは考古学者や人類学者の間ではこれまでまったく考慮されていなかった考えであることは、認めなければならない。彼らは集団遺伝学的にみて、そういった交雑がひじょうにもっともらしいということをよく知らないからだ。また、多くの一般人は、ネアンデルタール人が遅れた人類、あるいはサルに似ていると考えられていることから、そういった考えを聞いて毛嫌いするかもしれない。
 人類がネアンデルタールと交配して子どもを作ったと考えることに反対するものも多い。骨格としてあまりにも異なっているため、子どもは不妊化するというのである。あるいは、そんな嫌悪すべきことは起こらなかったし、それが起こったとしても、あまりにもまれであるため重要ではなかったという。これらは単純に誤りだ。
 ネアンデルタール人との交雑については、人類の多地域進化説とアフリカ単一紀元節ともあいまって論争が続いてきた。多地域進化説はネアンデルタール人が人類に進化したと主張したが、アフリカ起源説はネアンデルタール人を駆逐したとする。分子生物学によってアフリカ起源説は確証されたが、遺伝的交雑の度合いについては未だに未解明である。ヨーロッパ人の外形がネアンデルタールに似ていることから、連続性があるという主張があるのだ。私たちの意見は、既存の意見とはかなり異なったものだ。

不妊
 最初の論点は、現生人類とネアンデルタールの子どもは不妊だっただろうということだ。
 
しかし、50万年前という短い時間で分岐した別種とは、霊長類の場合には不妊であることはない。ボノボは80万年前にチンパンジーと分岐したが、その子どもは不妊ではない。もっと長い期間別種であっても、子どもが妊性をもつことはまれではない。イルカがオキゴンドウとの間に妊性をもつ子どもを持つこともあるのだ。確証されていないが、5,6百万年前に分岐した霊長類が子どもを持てるという話もある。ともかく、ネアンデルタールと現生人類の子どもが不妊であったということはないだろう。

獣欲
 ヒトがあまりにも異なった外見を持つものとは配偶しなかったということについては、人は掃除機、ゴム人形、ウマ、インダスカワイルカなどと性行為をすることがわかっているといえるだろう。嵐になれば、どんな港でもいいというわけだ。ジャレッド・ダイヤモンドの友人の医者が、肺炎の患者に、何か感染症の原因になるような性行為を行ったか聞いたところ、羊と何度も性交を行っていたことを打ち明けられたという。
 遺伝学の立場からすると、ネアンデルタールとの交雑がまれであったことはどうでもよい。そうではなくて、まったくそういうことが起こらなかったという場合のみが、遺伝的に重要度を持たないということを意味する。集団遺伝学の知見からすれば、一度でもそういう交雑があれば、長期的には大きな影響を与えるのである。

2s
 ネアンデルタール人との交雑はまれであったため、それは重要ではなかったという研究者は多い。しかし、これは完全な誤りである。それは自然選択の遺伝学の無理解によるのだ。人類学者は昔からネアンデルタール人の骨格と、ヨーロッパの現生人類の骨格の類似点を指摘してきたが、それを否定するものもいた。
 ここで、現生人類が時折ネアンデルタール人と配偶していたとしよう。それは多くの現生人類とは異なった対立遺伝子をもたらすことになる。ほとんどの遺伝子はアフリカ起源の人類と同じ機能を持っているだろう。対立遺伝子よりも良くも悪くない遺伝子は中立であると呼ばれる。ネアンデルタールからの中立遺伝子は頻度が低いために、ほとんどが消滅しただろう。
 それは単なる確率の問題だ。まれな中立遺伝子の持ち主の子どもはその遺伝子を50%の確率で受け継ぐ。2人の子どもがいれば、25%の確率でその遺伝子は受け継がれない。ことによって消滅する。一般に中立遺伝子の数は時間とともにランダムに浮動し、それがゼロになったところで話は終わる。もともとその数が少なければ、そういったことは起こりやすい。もし仮に、運がよくて、ネアンデルタールの遺伝子が広がったとしても、それが中立であるという定義によって、それは重要ではありえない。不利なネアンデルタールの遺伝子はすぐに消滅しただろう。しかし、適応的な遺伝子もあり、その場合、話がまったく違ってくる。
 有利な遺伝子は時間とともに増えてくるのだ。遺伝子の保持者が多の個体よりも25%多くの子どもを持つとき、その遺伝子は25%高い適応度を持つという。25%というのは大きな数字だが、ありえないようなものではない。
 有利な遺伝子であっても、消滅することもある。10%適応度の高い遺伝子は、次世代に2人ではなく、2,2人の子どもに受け継がれる。しかし、それでも23.75%の確率で消滅する。十分に長い時間がたって遺伝子頻度が上がると、偶然に消滅してしまう確率は事実上なくなる。そして確実に増えるのである。
 イギリスの遺伝学者J・B・S・ホールデンは、こういった確率を研究し、簡単な結論を得た。s高い適応度を持つ遺伝子が広がる確率は、2sなのである。10%より高い適応度をもつ遺伝子は、20%の確率で集団に広まる。
 これはギャンブルに似ている。55%の確率で正解を言い当てることができるとしても1枚のコインからスタートするなら、おそらく彼はすべてを失うだろうが、それでも18%の確率でモンテカルロの銀行を破産に追い込むことができる。20枚のコインからスタートするなら、98%の確率で勝利するのだ。
 中立遺伝子に比べて、有利な遺伝子は集団内に広まる可能性が高い。よって、ネアンデルタールとのハーフが数十人しかいなかったとしても、長期間のうちにはその有利な遺伝子のほとんどを取り込むことができるのだ。
 中立遺伝子が集団に定着する可能性はひじょうに低く、かつ時間がかかる。1万人の集団では、2万分の一であるが、それには長い時間が必要だ。これに比べて、免疫システムを改善するような遺伝子を考えてみよう。10%の幼児をしに追いやる病気に対する免疫システムの遺伝子は、10%高い適応度を持つ。マンモスにでも踏まれてしまえば、その遺伝子の持ち主は死んでしまい、遺伝子は消滅してしまうが、いったん50から100に増えることがあれば、消滅することは考えられなくなる。結局、その遺伝子は20%の確率で集団に定着する。これは中立遺伝子が定着する可能性の4000倍にもなるし、その時間もはるかに短い。
 こういった有利な遺伝子が、突然変異ではなく、別種との交雑によってもたらされる場合、比較的に短い時間で何度も同じ遺伝子が導入されることになるだろう。よって、その遺伝子が定着する確率も大きく高まることになる。
 こういった理論は、直感に反するかもしれない。一般に、祖先というのは色の混ぜ合わせのようなものだと考えられている。青と黄色を混ぜ合わせれば緑になるが、それは変化することはない。90%のノルウェー人と10%のナイジェリア人を交配させると、直感的には、永遠に9対1の比率が維持されるように思われる。しかし、この直感は誤りなのだ。もしアフリカでそういったことが起きれば、ナイジェリアで普通に見られる遺伝子はマラリア耐性を持つため、あるいはメラニンを精製して皮膚がんを防ぐため、世代ごとに次第に頻度が高くなってゆく。
 こうしてわずかなネアンデルタール人の遺伝子は数万年のうちに広がり、すべての現代人がネアンデルタール人の遺伝子の一部を持っていることもありえるのだ。

どうやって起こったのか?
 もし本当に交雑が起こったのなら