kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

IWGP in 2000

こんにちは。

 

今日はついに断酒するべく、財布・携帯を利用不可能にして、20時間座敷牢ラソンやっている。まあ、人間何も買えないことがわかっていれば、ムダな精神的葛藤もないということ。

 

さて、時間が余っているので、『池袋ウェストゲート・パーク』を見ている。これは2000年のTVドラマらしいが、非常に刺激的。暴力は当然、性風俗、麻薬、その他のオンパレードで、今どきのNetflixのドラマという感じだ。

 


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とすると、逆に現在のTVドラマというのはとんでもなく自主規制の嵐でまったく別物になっているということなのだろう。僕はテレビをほとんど見ないので、あまりそうした変化に興味がないが、結局コンプラをやりすぎると、面白い、あるいは人間臭いものはすべてなくなってしまうということがよく分かる。猥雑でいかがわしいものも、人間性の一部ということか。

 

原作の小説はほとんど読んだと思うが、この映像はかなり別物だ。キャラ設定が大幅に変更されている。でもドラマとしては、とても魅力的だし、今となっては有名な俳優たちがとても若くて驚く。

 

もう少し見たら、また報告します。

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クルマはないが、電動一輪、自電車を自由化しろ

こんにちは。

 

昨日から実家に戻って生活しているが、クルマがない。これは本当に不便で、もう10さん歳が行ったら、いやもう20年経ったら、完全に生活は不可能だということが痛感される。。

 

 

さて、今日もダラダラと近所(といっても2キロ先、クルマだと距離をほとんど意識したこともなかった)のドラッグストア、スーパを回って、価格を比較してみた。長い間、物の値段をよく見て買ったことはなくなっていたが、別にすることもないので、散歩も兼ねての活動。

 

内容的には、最近、パワーフードとして「そば」の話をいろいろなところで発見したので、男やもめのそば三昧に挑戦しようという企画。当然に発見できたのは、そば粉は高いので、ほとんどの「そば」が小麦粉中心の、「そば粉入りのそうめん」であること。まあ、そうだろうなあ、小麦粉は生産費用が安い上に、ボソボソしがちなそばよりも喉越しもずっとなめらかなんだから。

 


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さて、しばらくはそば中心に行きてみようとおもっている。

 

結構もそのうち報告する予定、乞うご期待。

 

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歩行者がいない!

こんにちは。

 

 

さて実家に帰ってきた僕ですが、今日はクルマがないので、買い出しに10キロも歩く羽目になりました。田舎といっても家10件の集落ではなく、4キロも歩けば、スーパー、コンビニ、ドラッグストアが2,3軒はある場所なので、困らないといえば困らないが、しかしクルマがないとすべてが一日がかりです。

 

重いもの、特に飲み物系は買うのが躊躇されるので、高齢者が困っているというのは疑いない事実です。今日は牛乳を買ったので、明日は豆乳を買いに行く予定です。

 

さて10キロ以上も道を歩いてきて、今日痛烈に思うのが、「人が歩いていない」ということ。クルマで移動する人はいるが、誰一人歩いている人に出会わないのです。子供がいないから、要するに車に乗れない人は、もう住んでいないということだな。空き家がやたらと多いしね。

 

ということで、しばらく東京にいると、本当に不思議なほどに違うものことになっている。まあ、仕方がないのだろうが、、、

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新幹線はもうやめよう

こんにちは。

 

 

さて能登半島地震から7週間。今日は久しぶりに能登の付け根にある実家に戻って、散らかっているに違いない実家の蔵書を整理する予定だ。ということで今、バスに乗っている。ちなみに実家近くのいちばん有名な景色は、富山県を代表する風景写真としてよく使われている。

 

 

名古屋から僕の故郷である氷見という場所に、公共交通で行くのはとても面倒なところだ。北陸新幹線ができる前は、特急が直接に名古屋・高岡間を走っていたので、高岡駅氷見線に乗り換えるだけだった。それが新幹線ができると、直通はなくなり金沢からは三セクに乗り換える必要ができて、結局高い上に面倒になったので、バスで移動することにしている。もちろん、クルマがあればそれに越したことはない。

 

新幹線っていうやつは、それができるとそれまでの本線が三セクになって、ある程度の人にとってはむしろ不便になる。もちろん、東京に行くのは便利になったが、僕は東京から実家に戻ることはほとんどないので、こういう具合に不便になったというわけだ。

 

もうすぐ東京から福井・敦賀まで新幹線が伸びるが、関西の人たちが金沢に行くのに、必ず敦賀で乗り換えなければならないというのは、むしろ不便になっている。しかたがないことだが、、、

 

というか、そもそもこれ以上新幹線を延ばすのは、金の無駄。確かに北陸の人にとっては悲願ではあるが、人口がこれだけ減っているのに、表日本の人々から徴税してまで作る意味がないだろう。

 

これだけ人口が急減しつつある日本で、「儲からない事業をやる」という「善意」は、つまりは若者と、さらに次世代へ負担を押し付けること。もっと、人への本当の善意に目覚めないと、この国の衰亡はとまらないのに。。。

 

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約束のネバーランド

こんにちは。

 

先日 なぜか『約束のネバーランド』というマンガの実写版を見た。出来はともかく、話しそのものは、「子どもたちが鬼の食用に飼育される世界」の話。背景はイギリスのパブリックスクール風であり、名前もイギリス風だから、近代初頭イギリスっていう感じなんだろう。子どもたちが出荷されるというのはグロい感じで、ようするにイシグロの『わたしを離さないで』と同じモチーフだ。というか、ほとんどその辺はパクリというべきか。

 


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考えてみると、人間が食われるというのは、『東京喰種』『進撃の巨人』など、主要な作品で普通になってきている。ある意味ではそれだけ、自然なことなのかもしれない。それでも、こうした作品には「人が食われるために飼育される」というオドロオドロシイ主題はほとんど感じられない。

 

反対に、『約束のネバーランド』では、グロい雰囲気が強く残っている。ここで思い出したのが、『動物の解放』by Peter Singer。牛も豚も食べられるために育てられ、若いところ(人間でいうと1代後半というところか)で出荷されて、屠殺される。考えてみると、気が滅入る話だ。

 

 

 

 

で、若くもない自分には、もはや別にいいたいほどのこともないのだが、自分一人のときは肉食やめようとまた思い直したというわけだ。みなさんも、万が一気が向いたら見て、考えてみてください。

 

 

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現金2

こんにちは。

 

いつもの話。

 

いったい現金って必要なのか? それで、退職を機会に少なくとも小銭はいらないだろうと考えて、小銭は発生すると募金することにしてきた。最近は能登半島地震があったので、それに寄付しているが、基本的には若い時から盲導犬協会がお気に入り。それ以外にも、地域募金ならどのスーパーのレジにもある。2022年3月に退職したから、2年ほどになるか。

 

現金を札だけにすると、小銭入れがいらなくなる。これだけでも(特にウィルスがどうのこうのと考えたり、言ったりしている人には)大きなメリットじゃないか?? (ちなみに小銭入れにはSDカード持ってます)

 

まずはSUICAを使う(これが一番早いから)。使えなければクレジットカード(これは認証にそれなりの時間がかかる)。それもダメなら千円札を使う。で、今ちょっと思い出してみると、自分が現金を使うのは、(前のポストの観光地を除けば)名古屋と富山のQBハウスに行ったときだけだ(と思う)。東京で行ったQBハウスはキャッシュレスになってが、、、

 

それでこの2年は銀行ATMを使ったこともないし、それで困ったことはほとんどないのだが、とはいえ、考えてみると、これにはワケがある。それは時どき友人と食事をして、代金を「割り勘」にすることがあることだ。それで現金を誰かにわたすこともあるが、自分がカードで支払って現金をもらうことがあるからだ。多分これがなかったら、どっかでATMにいっているんじゃないかと思う。

 

さて経済学者として、何度考えてもわからないのは、「現金を取り扱うコスト」というものが、日本の社会ではとんでもなく過小評価されていること。現金を使う人が多ければ、消費者は数えて支払う手間と時間が増えるし、受け取る業者は現金を数えて、銀行に持っていったり、預ける手間が発生する。ATMへ現金を運ぶ作業が(日通警備などに)必要になるし、あるいは銀行(ATMや自販機、最後はおばあさんなど)強盗の危険も上がる。何も良いことないじゃないか! 

 

これらを合わせると、数兆円(これってGDP1%くらいだよ!)にはなるという推計があったと思う。

 

根本的な問題は、カード決済でカード会社に2-3%(もっとだったか)が取られること。だけど、こんな国はもう日本しかないんじゃないのか? アメリカなんかはもっと低い。現金が消えてしまったスウェーデンや韓国はもっと低いだろうと思う。ということは、こういうところこそ、実際には銀行団の特権が温存されているということ。結局、すべて日本という国家権力の与える特権が、国民生活の変化=効率化を妨げ続けて、35年が経過したということになる。 にもかかわらず、こうした根本的・制度的な非効率を訴える新聞もメディアもない。

 

そんなに銀行員に特権を維持させてやる必要なんてないじゃないか。。。

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現金だけの世界があった

さて 今日は西伊豆町を探索・堪能した。で、今名古屋に帰ってきました。

 

とてもいいところだったし食事も最高だったが、西伊豆有料道路の支払いも、遊覧船の料金も、需要文化財の重条件も、食堂の支払いもすべて現金だった。たまたま現金を数万円持っていたので助かったが、これはイカン、、、、 

 

 

おそらくは1年ぶりくらい(といってもそれがいつだったかはおぼえてないけど、、、)に、現金を使うことになった。でもカードも使えないんじゃあ、外人も利用できないよ。東伊豆と違って、西伊豆はもともと日本人だけの場所だったんだろうということがよく分かる。

 

もともと「おもてなし」とかいうメンタルで勝負するより、「カード ウェルカム」のほうがずっと外人には優しいのに、、、要するに外国を旅したことがないから、バカな制度を続けるわけだ。

 

 

しかし、その大本には、電子的な金銭移動に2-3%以上もかかるという日本の問題がある。これが0.5%なら、「強盗の心配」、「数える面倒」「入金の問題」なんかで、外国と同じように現金のない社会になっていただろう。日本の制度が現金中心だということ事態が、ガラパゴスで子供の未来を閉ざしていることを理解している人が少なすぎる、、、

 

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