kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

宇宙人の社会倫理

こんにちは。

 

夏の夜長に、たまには学者らしいことを書いてみよう。

 

例えば、異星からの知的な生物が地球にやってきたとする。彼らが宇宙を押し渡ってくるテクノロジーをもっているからには、高度な数学と物理、化学、そして彼ら自身の個体への理解である心理学、自身の形成する社会への理解である社会科学をもっているはずだ。

 

トラやクマのように群れを作らない動物が、高度な知能を発達させるとは思われない。外界の知識の獲得(自然科学の発展)には必然的に知的な分業を伴っているはずで、それなりの社会性が必要だ。

 

とはいえ、彼らがハチなどの社会性膜翅類ほどに、個体が一体化してコロニーが超個体となっているのか、はたまた人間くらいに個体独自の生殖活動を独立に行い、血縁度が離れているのかについては、わからない。オオカミなどのように、主に夫婦が繁殖して、それを子どもの一部が助けるという中間的な「奴隷制」をとっている動物も多いからだ。

 

さて人間は、かなり個体レベルでの繁殖をしてきており、奴隷階層を持っていないことが多かった。とはいえ、社会の上層部と下層部では適応度に大きな差があったこともまた疑いない。例えば、チンギス・ハーンのY遺伝子は1600万人もいるし、他の著名な征服者のY遺伝子も数多く知られている。おそらく日本の天皇家から連なるY遺伝子も数千万人にはなるんじゃないだろうか。

 

とすると、どの程度に個体が適応度において平等であったか、には、ほとんど0から、ほとんど1(次世代人口のすべて)にいたるまでの大きな可能性がある。ある個体にとっては、集団内で高い地位を守り、下層階級を搾取して適応度を上げる必要もあるし、同時に他の集団との抗争にも勝てる、あるいは敗れないように団結を維持する必要もある。こうして「政治」活動をどの程度、そのように行うかが、次第に遺伝的にプログラムされるだろう。そうした行動性向は遺伝子プールの頻度の違いから生じるが、あるいは地域集団によって異なるかもしれない。いや、おそらく微妙に異なると考えるほうが自然である。

 

こうして一方には、奴隷階層を含む非常に内部格差の大きな社会とそれを支える遺伝子プールがありえる。また別の集団は、もっと平等的な資源配分を行い、外部集団との戦いを有利にすることもあり得たかもしれない。ヒトの場合、こうした歴史的な適応度データがはっきりしていないのが、社会科学の問題の一部なのだ。

 

宇宙人であれば、進化の過程が完全に異なるため、人間とまったく異なった「行動特性」や「価値観」を持っていても不思議ではないことに、すべての知識人は納得する。だが、人間同士であれば、なぜか「遺伝子プールの違いは価値観の違いを生み出している」と示唆するだけで、人種差別だなんだと「倫理的」非難を浴びる。

 

 

実に科学的にはバカらしい話だ。合理的・論理的ではない。

 

エドワード・ウィルソンは「アリが高度の文明を持ったとすれば、それはジメジメした地底を崇拝し、太陽を忌み嫌い、仲間の死体を食べることを尊ぶ文化を持つことだろう」といったことを書いている。

 

 

このポストをなぜ宇宙人から話し始めたのかといえば、ヒトを相対化する思考実験のためだ。特定の倫理観はおそらく個人の社会内での政治的必要性から生じているのだろうが、神の創造神話と同じように、我々の目を曇らせる(ことが多い)。

 

21世紀に入って、ますますこういう話はタブーになってきたのだろうが、そうした思想検閲状態について、まともな学者にはよくよく留意してもらいたい。

_