こんにちは。
今日は東京にいますが、高校時代から集めていたレコード(~1986頃)とCD(~2010年頃)は実家(氷見)においてあるので、聴けません(近く捨てるつもり)。しかし、現実的にはYouTubeで全部聞くことができます。
こういう時代になると、物理物の価値ってなんだろう? となりますが、ズバリはっきり言って「そんなものはない!」ということになるのでしょう。単なる老人の郷愁です。
高校時代以降は、いわゆるハイファイコンポで音楽を聞いていましたが、それもイアホンに代わり、さらに退職してから最近は非密着型のイヤーカフ型(Huaweiね)のイヤホンで音楽を聞くようになりました。
それでも若かかった時代に比べると量的にはそれほど聞いていないし、もっと言うなら、昔の音楽ばかりを聞いています。
イノベショーンの進展に伴って音楽鑑賞のやり方は次第に変わっていくものです。大学生の息子は「音楽とはイヤホンできくもの」と思うのも当然です。
「人は世に連れ、世は人に連れ」とはよく言ったもので、そのとおりだと思います。人の常識や体験は変わっていく。それを否定することはできないし、その中でも音楽はもっとも自分の核心を形成する中心的な存在だということ。
こういうのが、僕が高校時代に経験したJRディーゼル車での通学なんかに引つがれないことを望むだけ。突き詰めれば、それは江戸時代の米づくりが、今も同じように維持されること。変化=進歩がなければ、日本は江戸時代のまま。
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