こんにちは。
今日 久しぶりにホテルでNHKのニュースを見ていたら、「安楽死の政党」の話が出ていました。この主張は良い!
長い間、感じていたことですが、病気であちこち体が痛くて辛いのは嫌だが
「最後に他人に世話をされたくない」
「死ぬときを自分で決めることが許されてほしい」
ということ。よく知られているようにスイスやオランダでは「終末期であること」を条件にしての尊厳死が認められていますが、それでも「健常者が自分で死ぬこと」は認められていません。でも、なんで??
人権派の弁護士なら「強制はないと言っても、家族の介護負担などの問題から 事実上の強制が生じる」というような懸念を表明します。それはそれで もっともな部分もありますが、でも本当に、どういう角度から見ても苦痛のない死を選ぶという人もいるのでは?? という疑問は残ります。
日本ではこういう人間の生の「自律性」というような発想自体がひじょうに希薄なので、安楽死が認められるわけはないでしょう。まあ トンデモさんであることは間違いありません。
でもホントにそれで良いのか?? 人は終末期医療にどれだけの資源を投入する気があるのか? それが全額自分の出費になって、子供や孫の教育費を奪うことになるのなら、本当にそういった高額な医療を望むのか?
ビル・ゲイツが人類最高の医療を受けることは当然です。しかし税金というものを投入をして、子供の保育や教育を優先するのか? それとも年寄りの医療を優先するのか? この問題は、老人が人工の半数である日本では、今後ははるかに深刻になるはず。功利主義者の立場からは、自明ではありますが、実際には甲論乙駁があります。
50すぎのボクは落合陽一よりもはるかに歳をとっているので、老人の既得権に公然と反対しても、もはや道徳的な批判は受けないでしょう。実際に授業でも、安楽死の選択の自由を認めるべきだと発言しています。
まあ 誰も聞いていない 単なる空気の振動にしか過ぎないんですけどね。
_