kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

来年からは何をする?

こんにちは。

 

このところ、いろいろとあってブログ更新を忘れていました、スイマセン。

 

さて、僕の私的な話なのだが、今年度いっぱいで職場を離れることを決意した。高校大学時代からずっと あーだこーだと考えて議論してきたのが自分という人間のすべてなのだ。なんだかんだと言っても、結局は常に大学という組織の一員になること、そしてそうであることを前提にしてきた人生だった。大学の所属を離れるというのは、とてもフシギな感じがするし、えも言えず感慨深い。

 

 

多くのサラリーマンも退職時にこうした感慨を抱くのだろうな。

 

で、これから何すんの?  というマトモな問いには今は答えがない。多分、ダラダラと老後を親と過ごすだけになるのだろうが、Youtubeにも何らかの投稿をしてみたい。

 

_

 

話題が変わるが、ちょっとした理由から自分が15年以上前に取り組んでいた、無政府主義と「法の経済分析」の本を読み返してみた。

 

無政府社会と法の進化―アナルコキャピタリズムの是非

 

で、びっくりしたのが、薄い本なのにやたらと細かい日本国の法律の仔細や、あるいは判例にまでグダグダと論考・言及している点。よほど、この時は法律について勉強し直したんだろうということを、他人事のように思い出した。若いというのは、何でもエネルギーがあるもんだ!

 

例えば、「公法と私法がなぜ分かれているのか?」という問いに、法学者で答えた人はいないと思うが、そうした根源的な法のあり方についても、D. Friedmanの功利主義(+進化心理学)の視点から説明している。とはいえ、論理的には、(近代啓蒙主義以降の)純粋な功利主義と、進化心理学によって帰結される心理的(カント的・単純道徳的な)直感の間には乖離が生じ得るので、この点については、これからさらにもう少し考えてみても面白いかもしれない。

 

 

_

 

さてさて、例えばボクは「Food for Thought」というチャンネルを考えていて、そこでは、これまでの学術的、あるいは政治的に正しい常識を疑う内容を話してみたいと考えている。あるいは、(もう少しは多くの読者が期待しているようにも思うが、)「Libertarian.jp」とかいうサイトをつくって、時事的な政府の愚策についてリバタリアニズムの視点から論評するというのも面白いかもしれない。

 

 

今年で学会と大学をやめてしまうというのは、ボクにとっては大事件ではある。それでも何かの交友関係や人間としての人生が必要だろうとは理解している。そこで、YouTubeで動画を作って「目指せ、100人subscriber!」ということなんかを、人生の末節・老後の目標にしてみようかと思っている。

 

_