こんにちは。
続き。
アリストテレスが「自然は無を嫌う」として、真空の概念を否定したというのは知られている。真空という概念の有用性が認識されなければ、こうした詭弁で、それに懐疑的であったというのはアリだったのだろう。
アラビア数字はゼロの概念を明示的に採り入れて、大成功を収めている。中国式の数字も、ローマ式の数字も、それに比べると大失敗している。
ボクもこれまでイスラムの大繁栄と、その後のヨーロッパ世界への不適応、大失敗はフシギだと考えてきたが、それを説明しているのが、文明の盛衰は知能の変化によるというこの本。
ギリシャ・ローマ時代にピークを迎えたヨーロッパはローマ帝国崩壊後の中世に沈滞した。その間に12世紀までに大成功を収めたのが、イスラム世界。イスラムが崩壊した後の現在と考えると、今はまたヨーロッパが中心になったのも理解できる。
(ボクはそれだけではなくて、ヨーロッパ人は自然と論理に対して、他の人間集団とは異なった興味を持っていると考えているが、それはまた別の話にする。)
中国人・韓国人はPISA, TIMSS, PERLSなどをはじめとする多くの国際学力テストでも、あるいはウェクスラーIQテストなどでももっとも知能が高い。しかし、何1つ重要な発見を生み出していない。なぜかといえば、彼らが「政治、つまり人間の序列とは別に存在する自然法則」というものを信じていないからだ。
現在でも中国の歴史改ざんの努力はスゴいが、それは完全にクソ中のクソだ! だからこそ、中国のものは何も信用されていない。林羅山も同じで、地球球体説を否定して、クソ儒学を信奉している(読んでみてください、林羅山は完全中の完全なアホです)。
そういうバカが大事だと考えるのが、アジア人である日本人の知的な薄弱さだ。林羅山は儒教道徳から上下関係を重視するバカアジアの歴史を引きずっている。それを関孝和なんかの和算(ほとんど微分)よりも重視した事自体が、日本人の独創性のなさ、政治的上下関係の重視を端的に表している。
ボクはとにかく儒学が嫌いだし、それを信じる心がクソそのものだと思っている。アジア人の宿痾だ。自然の法則を明らかにするのに、政治的な偉いも卑しいもない。そうした原理が今も残っていること(例えば、東大理3に受かったやつが偉い)が、アジア人のクソメンタルの証左なのだ。
中国では北京大学、清華大学、復旦大学に合格するのがもっとも優秀な人間だとされている。それは東大やソウル大学と同じだ。まったくもって完全にバカげた思想だ。アメリカでは、ノーベル賞は少なくとも50ほどの大学に進学することでも達成可能だ。人の言ったことを学習する速さを競うのは、アジア人の特徴であり完全にクソ伝統だ。
誰かが言ったことを早く理解することではなくて、どんな未発見のことを人類に貢献したのか?を基準にしてもらいたい。
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