kurakenyaのつれづれ日記

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センター入試

今日 日経を読んでいたら,ようやく中国もセンター入試をやめるという話題が載っていた.日本人のノーベル賞は22人を超えているが,中国では2人,韓国に至ってはまだ誰もいないことは,今年のアジア社会の大きな話題になっているからだ.


一発入試が大事だという伝統は,日本以上に,科挙の本家である中国ではなはだしい.ちなみに,昔,北京で中国語を学んでいた時に知ったことだが,韓国人からもかなりの数が科挙に合格して,中国本土の帝国官僚になっていた.このことからすると,韓国の文化は,日本よりもはるかに中国に近い.しかし,科挙で一番優秀であるとされた秀才なんかの追跡調査をしても,まったくもって誰一人として活躍なんてしていない.せいぜいが,役人になっているだけだ.



中国の大学進学率は60%ほど,韓国では70%ほどにまで上昇していて,これは日本よりも高い. すでに中国には,すべてのヨーロッパ人研究者よりも多くの大学研究者がいる(はずだ)が,何か新しい学問の流れが生じているという話は,まったくもって聞いたことがない.世界の科学者のrevealed preference でみても,学者の誰一人として,秀才の集う北京大学清華大学復旦大学に先端研究を学びに行ってはいない.


反対に,いまや中国で最も優秀な高校生の多くが,アメリカの大学に進学しているのだ.近いうちに,東大よりもハーバードやスタンフォードを選ぶのが,日本でも普通になってくるだろう.週刊ダイヤモンドなどのように,資金的にも豊かな家庭の選択肢には入ってきているようで,そうした特集が組まれているのだから.


さて,ナイアル・ファーガソンは,科学はアプリだといったが,科学は相当に重いアプリだ.それを走らせるには,それなりのCPUの処理能力が必要であり,さらに同じCPUの処理能力なら,ネイティブ・コードで書かれているかどうかが重要になる.科学は,アジア人のCPUにとって,ネイティブ・アプリではない.


では,東アジア人のネイティブ・コードとしての行動様式,思考様式とは何か? それは,先生の言うことを超えない(儒教思想),ということだろう.この心性は,効率的に学ぶには都合が良いし,あるいは犯罪率の低さとも関連しているだろう.ただ,過去の理論を超克するのが進歩であるという科学的な思考とは,あまり相性が良くないのだ.


こうした価値観を含む制度の変更は,とてもムズカシイ問題だ.それでも一発入試が有害無益であることは,中国の専制と停滞の歴史が証明している.日本人も虚心坦懐にそれを認めて,トットとセンター入試をやめて.SATやTOEFLのように内容を単純にして在学中に何度でもチャレンジできるようにすべきだろう.


(ついでに言えば,すでにセンター入試のマニュアルは,税制度と同じように,グロテスクなまでに厚くなっている.監督者である各個人が理解・実行できるレベルを超えてしまっているのだ. こんなバカなことにマンパワーを割くよりも,高齢者介護などに回すべきだ.)


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