こんにちは。
印欧語族の歴史について興味があって、英語版のウィキや、ヨーロッパ人の遺伝子の本を読んできた。で、この本を読んでよくわかったことがあるので、報告したい。
印欧語族とは、馬を家畜化して、車輪をもつカート、戦車としてチャリオットを作った人たちで、紀元前3500年から2500年ほどに、今のウクライナの草原にいたと考えられている。
それと、僕が高校生だった35年前には、古代エジプトと争ったアナトリア高原を基盤とするヒッタイト人は語族が不明だとか書かれていた。周りはセム・ハム語族がほとんどだから、当然といえば当然なのかもしれないが、今では彼らが印欧語族であったことは広く当然視されている。
で、今日知ったのは、ヒッタイトが移動した経路。これまで、なんとなく、いまのジョージア、アルメニアのコーカサス山脈をこえてイランから、アナトリアに入ったんだ(東経路)と思っていた。が、そうではなくて、彼らはまずルーマニアからドナウ川に移動して、それからトロイなどを含む国会南岸、さらにアナトリア(西経路)へと入っていったのだった。
そうだったのかあ。。。コーカサスって、たしかにやたらと険しいもんな。
ところで、前にも書いたが、人間集団の自然言語がある種の一体性をもてるのは、せいぜいが1000年ほどだと考えられている。(現代の日本人だって、枕草子は、もう直接には理解できない。)その短い間に、ヨーロッパから北インドまで移民して、大征服を実現したなんて、彼らは何がそんなにすぐれていたのか?
20世紀は、単に「馬+戦車」がすごかったから、というような説が支配的だったようだが、今の僕は乳糖耐性説に帰依している。生のミルクが飲めれば、発酵させてチーズやヨーグルトにするよりも、2,3割以上効率よくカロリー摂取が可能になる。これが戦士の増産に絶対的に有利だったことは間違いないからだ。
馬の飼育や車輪の利用などの文化的な要素と違って、乳糖耐性は、そもそも遺伝的な要素であり、絶対にマネができない。それが決定的な違いになったのじゃないのか?
著者のアンソニーは気候変動的な要素を加えているし、それもあったかもしれない。それでも、どうにも現代の文化論的な影響が大きすぎるように感じる。