こんにちは。
しばらく休んでしまいましたが、その間 ちょっと息抜きに主にYouTubeを見ていました。もう完全にテレビそのものになって感じです。なんと言っても、例えばですが、“Mazda 3”とか “CX-30”というような、やたらと細かい情報についての動画が世界中に存在しているため、それを探して消費しているだけですぐに何週間も経ってしまうのです。ボクのお気に入りのコンテンツはGiga Factoryと言うやつで、単にクルマの工場を移すだけの番組。これは放送という枠では絶対に成立しないだろうな。
Porsche 911 DOVELOPMENT PRODUCTION
テスラやアップルの新車発表会も、いつも楽しいショーだと思います。あまり日本にはこういった起業家のショーがないのは残念なところ。zozoじゃないが、目立つ人はあまり世間受けしないのかな。
この時代はよく言われるように、確かに多くの情報がますます手短に見れるため、結局は試聴時間の取り合いになるということのようです。個人レベルでも、かなりのコンテンツがあって、それが無限にあるために、見るのに時間が足りないということ。「巨人 大鵬 卵焼き」という言葉をボクのおじはよく言っていましたが、そうした共通了解が次第になくなっていくということになるのでしょう。
カリフォルニアにいたとき、ある白人の男子学生と話していて、彼は野球を何人でやるのか、フットボールを何人でやるのか知らなかったのには驚きました。そんなに興味がバラバラで生きてこれるなんて、ボクのように60年代生まれの日本人には想像もできませんでした。
インターネットは各人の興味のある情報しか受け取らなくなり、共通了解や社会的な関心を失うという問題があるという意見は、これまでもCass Sunsteinなどの社会哲学者が大いに憂いているところです。
どうなんでしょうね? 共通了解を得るための時間があるなら、自分の趣味の映像を見ることができます。その機会費用ほどの価値があるのか? 今ある義務教育と地域防災無線以上のものが果たして必要なのかは、よくわかりません。
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