kurakenyaのつれづれ日記

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一万年の進化爆発

一万年の進化爆発


ものを書くのは久しぶり。 皆さん(→誰のこと?) お久しぶりです


親しい人の死が相次ぎ、さらにいくつか見つけた興味深いサイトを読みふけっているうちに3ヶ月近くが経ってしまいました。痛感したのは2つ。一つはボクももう若くない、あるいは確かに近く何も残せないままに死ぬだろうということ。もう一つは、経済学、あるいは社会科学全体の前提であった、人間の平等神話は確かに崩壊しつつある、あるいはもう崩壊してしまっていること。


さて せっかく残り少ない人生を、こうして時間をかけて 文章を書いているのだから、これからはもっと正直にものを書こうと決意しました。これまで、心のどこかで「こうした主張はPCではない、控えなければならない」といった、社会常識、現代に蔓延する倫理観から逃れられない苦悩を感じて来ました。けれどもそれは、もう終わりです。


ボクは「本当のこと」を探して大学に学んだのであって、「倫理感覚にそうもの」を探してきたのではない。だから、今後はボクという どうでもいい人間のad hominemな評価にはこだわらず、批判や罵倒を恐れず、真実について書いて行きたいと思います。


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さて、ボクが決意したのは、Gregory Cochran に啓発されたからです。彼 は「1万年の進化爆発」の著者ですが、彼とHarpending によるWest hunter というサイトを熟読して、彼らの容赦のない、真理への追求に本当に感動しました。


例えば、ご存知のように ジャレッド・ダイヤモンドは「銃・病原菌・鉄」を書き、大ベストセラーとなりました。ボクも彼のストーリテリングには感心しました。しかし、その結論は、アメリンディアンの病原菌耐性の欠如以外、ほとんどすべての結論が奇妙なコジツケにすぎません。


コクランはダイヤモンドは idiot であるとまで断言します。なぜならダイヤモンドは、ゴールトン、スピアマン以降、現在に至るまでの100年以上にわたるpsychometrics の議論をまったく知らないか、あるいはご都合主義で無視しているからです。つまりGould、Lewontinの後継者なのです。


ダイヤモンドほどの学者、ピュリッツァー賞作家に向かって、そこまで苛烈に批判できるのはオドロキです。学者というのは通常、そこまでの批判はしないものですが、ボクはむしろスガスガシイものを感じました。確かにコクランの痛烈な侮蔑のように、文化人類学者、社会学者たち左翼の平等主義者は、ほとんど全員が人間の(不平等な)遺伝配列を(オキラク主義的に)無視しているからです。


ということで、これからは素直に Nature や ProNASで報告されていること、ボクが考えることについて書くことにします。多くは現代の倫理に反していますが、ボクももうあとは棺桶に入って火葬場に行くのみ。何も恐れるものはありません。


Euphemism でいくと Biodiversity ですが、現実にはヒト生物学とそこから直結される、集合活動、すなわち社会の直視ということになります。日本語で書いている人はまったくいません。その昔、慶応大学の安藤先生からは、止めておいたほうがいい、と忠告していただいたモロモロの考察です。


でも、ボクはどうしても真実について考えたい 語りたい。アルベキ世界ではなくて、現実にアル世界について。


では、あと10年ほど生きるつもりですので、乞うご期待