今日僕は去年見つけて、しかし読まないままに帰国して、その後研究室の箱にしまったままに先延ばしにしてきた論文を読んだ。
これはNewcastle 大学の Daniel Nettle による2006年のものだが、彼の主張は、「人間の性格の違いや分布は、進化的な理由があり、遺伝的な多型として維持されてきた」というものだ。ちなみに僕の「無政府」でも、右翼・左翼は行動戦略としてのヒト行動の多型だ、と主張しているから、彼の論文を知っていたら、当然に引用すべきだった(残念)。
さて、さらに興味深い論文が検索していると出てきた。それは右翼と左翼は、ヒト行動の均衡戦略なのだろう、というトロント大学のJacob Hirsh, ミネソタ大学のColin DeYoung によるものだ。これなんかは2010年の出版だが、右翼は勤勉で、左翼は知的好奇心にとむというのは、「ベキダ デアル」での僕の主張とまったく同じだ。彼らはもちろん心理学者なので、僕が引用した以上に、多くの具体的な実証研究を引用して自説を展開している。
さて、僕はリバタリアンなのだが、リバタリアンな思想は右翼的な要素と一致するところもあるが、反目するところもある。左翼的な要素についてもまた同じ。もし、僕が考えているように、右翼左翼に神経的・生理学的な基礎があるなら、リバタリアンはその存在がマイナーなのは必然的なのかもしれない。
ヒトは右翼と左翼という1次元にすむ生物であり、「思考法を2次元に拡張すると、リバタリアニズムが見えてきて、みんなが幸せになるよ」といっても、1次元に住む生物には、その次元は見えないし、感じられないのかもしれない。ちょうど、僕たちが、自由に過去や未来に歩いていけないように。