そういえば、僕のLJPでの電波競売についてのブログポストに、kyuuriさんがコメントをくれていたので、それについてちょっと思ったことを書いてみたい。
森村さんは「死者は独立した法律主体ではありえないから、死者の財産を国庫に移転することで、最小国家の費用にする」という案を出しているが、これに対してkyuuriさんは否定的なわけだ。死者の財産の没収というのは、有り体に言えば、相続税を100%にするということなのだが、森村案では贈与税は存在しないので、どうしても死後に誰かの面倒を見たいのなら、生前贈与をすることができるという。
もう少し、細かい話になると、おそらく信託財産として第三者に管理してもらい、自分の死を条件として贈与するという契約もありえるだろう。結局、森村案の意味は、死者がもう助ける必要もないと感じているような人にさえ自動的に相続財産が行くというのはあまり意味がないし、それなら最小国家の運営費用にするのがいいということなのだろう、と小生は理解している。なら、そういう考えもあってもいいのではないだろうか。
また、電波オークションという考えについては、著名な放送通信評論家の池田さんの意見とはどう違うのか、同じなのか?という疑問についてもkyuuriさんはコメントしている。僕は実のところ、池田さんの本を何冊か読んではいるが、ブログは読んでいない。さて、そういうわけで、僕は「池田さんはどういう提案をしているのか?」という肝心の疑問については、実ははっきりしていない。しかし、小生がこれまでに読んだところでは、彼はどうやら無線LANと同じように、すべての帯域を小出力電波の共有地にするべきだと言っているように思われる。
正直、僕がこの案を真面目に考えないのは、「なぜ共有地にしたほうが、私有財産にした場合よりも効率がいいと考えるのか?」という疑問があるからだ。もし、僕のアイデアと異なって、完全な競売をしないというのであれば、無線技術は多様に存在しているため、LANのような小出力の通信が望ましいのか、あるいは現在の携帯電話のように中出力の通信、さらにはデジタル放送のような高出力の放送、などいろいろなアイデアの相対的な費用便益分析が必要だろう。
少なくとも、電波「政策」専門化と名乗るからにはそういった分析が欠かせない。しかし、僕が読む限り、池田さんは素人相手の文章以上のものを書いていない。
実際、僕の競売案は、そもそも利用法についての「理論なき」市場への丸投げなので、どういった技術がどの程度見込みがあるのかについて、僕が挙証する責任を負わない。ご都合主義の新古典派経済学至上主義だからだ。しかし、当然に僕は自分が正しいと思っているし、時間のスパンを10年、20年にすれば、間違いなく僕が正しいと確信している。
一体、なんの理由から、経済学者ごときが、どんな技術がどういった意味で最も優れていて、どの帯域に適しているかを、事前に予測断言できるのか? 市場に聞く前からそんなことができるなら、リバタリアニズムなどまったく無意味な思想になってしまう。 まったく「サイバーリバタリアン」とは、リバタリアニズムとは異なった概念に到達していると読むなら、なるほど彼が名乗るその名のとおりである。