kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

CSRとフリードマンの企業観

kyuuri氏のブログ
http://libertarian.seesaa.net/article/83877846.html
に、今は亡きM.フリードマンCSR批判が紹介されている。


この意見は20年前からフリードマンが言っていることで、
つまり「企業は株主のものであり、利益を生み出すのがその存在意義だ」
という考えをstraight forewardにあてはめたものである。
なるほどと思い、小生も、それに納得してきた考えである。
なお、フリードマンは19世紀のアメリカの慈善事業の発展を望ましいとしているから、
social resposibilityというのは個人にのみ当てはめるべきという考えだったのだろう。


しかし、最近小生はこれにある種の疑問を抱いている。
企業が消費者にとっての情報処理の結節点であるとするなら、
そして現実に企業単位で多くのコマーシャルが流れ、その評価が下されているのであれば、
CSRによってむしろ人々の高感度と会社の株価は上昇することもあるだろう。
あるいは、同時に従業員のloyality、moraleも高まるかもしれない。


とするなら、CSRという概念そのものを言下に批判するよりも
ソフトな広告戦略の一環としてとらえるべきかなと感じているのだが、
どうなのだろうか、疑問は残る???