kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

日本の大学院教育

今日はたまたま出先で暇があるので、
ちょっと思い出したことを書いてみよう。


前にlibelerさんのブログで、
一橋大学のベッカーが人的投資の話をしたが、libelerさんは
「高学歴ニートが多い日本で、
ベッカー流の人的資本投資は成立していないのでは?」
というように感じたというポストがあったかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/libeler/200709


これはかねがね小生も思っていたことで、
遠い昔のアメリカ留学の理由でもあるのだが、
おそらく日本とアメリカでは大学院教育の価値づけが違うようだ。
あるいは人々の学位そのものへの評価が違う。


アメリカでは本当に(少なくとも有名校の)大学院教育は評価されていて、
MBAにしてもPh.Dにしても高収入に直結している。
対して日本では、評価も低いし、実際に(少なくとも文系大学院では)
教育実体もなければ、学位もインフレで何の意味もない。
教授もコネ採用が多く、世界的な研究者は少ない。
こういった理由から、おそらく 異なったナッシュ均衡に落ちてしまったのだろう(爆)。


そういえば、日本の大学院ではあまり学生に学位取得を拒否しないが、
それは結局は自分の首を絞めている。
日本的な人間関係の「アマエ」のせいだろうか。
長期的なreputationというのは
大学のような無形の組織の最も重要な財産だというのに。