kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

結局、今は300冊しか持ってない!!

こんにちは。

 

今週は研究室で、持っている本をPDFにするために本のパック詰めをして、長い時間を過ごした。マスクをしながら、この蒸し暑い環境で本詰め、さらに重い段ボール箱の移動作業をするのは、50代のおじさんにとっては、かなり体力を消耗する。

 

さて、持っている物理物である本をPDFにすることには、例えば検索できるとか、すべて持ち歩けるとか、いろんな便益があって、これは友人がかねてから指摘してきたことだ。しかし、物理的な本に対しては、誰でもそれなりの愛着があるだろう。それでボクもこれまで踏み切れなかった。しかし、ついに電子化の時代であること、自分の学者としてのキャリアの終わりが近いことを踏まえて、実際に(汗拭きタオルを首に巻きながら)汗をかいて、大学近くの佐川急便とヤマト運輸に15個ほどの荷物を運んだ。

 

前の話だが、2017年の4月に、経済情報学部から外国語学部に移ることになった。それでキャンパス(と研究室)が変わったので4ヶ月ほどをかけて、持っているものをゆっくりと移動した。それでも、その時たしか3割ほどの書籍を持ってこないことを決断した(=捨てた)。そうした作業が梅雨に時期に重なったという疲れもあって、疲労困憊してしまい、17年の夏には、ウツ病になって倒れてしまった。、、

 

またしても今回の整理では、半分くらいの二度と読まないと判断した参考書・教科書、あるいは過去の時点での時間つぶし的に買った本を捨てることにした。(こうした本の中には、1万円も払ったKandellのNeuroscienceなどの教科書もあったりする。それはいつかのための参考書としておいておくために買ったので、捨てるという決断がなかなか決断が難しくて、判断には時間がかかるし、疲れてしまった、、、) 結局、2週間かけた選別によって、300冊ほどを残した。。。ウーン、とすると僕は2017年に たったの900冊しか持っていなかったことがわかった。

 

25歳からの書籍全体を集めたとして、大人になってから、もう30年だ。この間はおよそ1万日なので、なんと10日に1冊も買ってない!  もちろん、自然科学系・社会科学系の論文を読む時間も必要なので、書籍だけを見れば、こんなもんなのかもしれない。それにしても、勉強量が少なすぎる、、なさけない。。。。

 

究極の合理主義者を標榜する僕でさえも、物理物である本には特別な愛着がある。自分がもっとも真剣に経済学を学んだときの経済学の標準的な教科書、例えばMicroeconomis by Hal Varian, or A Course on Microeconomic theory by David Kreps, Macro Economic Theory by Olivier Branchard, などを捨てるのは、とても気が重かった。また僕は関数解析や多変量解析についての英語の本も多く持っていたので、それも自分の20代の学習・思考を代表するという意味で、捨てることがためらわれた。

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よく1万冊の蔵書を持っている人の話があるが、それは20歳以降の大人になって80歳まで、2日に1冊というペースで集めたということになる。これはこれで素晴らしい。

 

でも、これからの時代では、グーグルが構想したように、だれでもすべての書籍が参照できるほうがずっと良いんじゃないだろうか?? 僕が1000冊のために、おそらく300万円以上の費用を費やしたことを考えると、そういうopen souceの時代が来たほうが、人類にとっては望ましいように思える、、、、

 

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