kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

昨日の続き

こんにちは。

 

あ、昨日は書こうと思ったのに、酔っ払って書き忘れてしまった。(乃木坂や金融資産の量よりも、一般人は仕事の成功が大事なように思う。)

 

ビジネスで成功した人もいるし、学問で成功した人もいる。あるいはあまり成功しなかったという人も多いだろう。さて、そういう人の功績はどの程度が、周りの環境や時代を含めた偶然なのか? あるいはその人物の活動の結果としての必然なのか?

 

一般に成功したビジネスマンというのは、その出世の過程で、ある種の「当たり」の事業を手掛けている。それが爆発的な成功となるという事例がほとんどだ。あるいは学者でも、「当たり」のアイデアを出して、それを追求して、人を説得することが学術的な業績になる。

 

例えば、思考実験をしてみよう。アインシュタインニュートン(の一卵性双生児)がもう一度別の時代や国などに生まれた場合に、どれだけほどの業績を出し得るのか? 業績の偉大さをなんとか数値化することができるなら、それは遺伝と環境・時代の寄与度を分解することになるだろう。

 

ジェフ・ベゾスビル・ゲイツのようなビリオネアの場合は、資産額が一つの指標になるのでもっとわかりやすそうだ。(でも、彼らの業績が人類全体にもたらした効用量を金銭にすれば、彼らの財産の10-100倍くらいはあると思うけど。)

 

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そういえば、イーロン・マスク南アフリカでどう評価されているのかをザッピングしていたら、「彼のような人物は、アメリカでしか成功できなかっただろうから、人類にとっては彼が移民したのは良かったのだ」みたいな意見が多かったのが印象に残った。

 

なるほど、多分マスクの破天荒な計画は、すべてアメリカじゃないと実現しなかっただろう。彼は間違いなくvisionaryだが、それを活かすには環境が必要だ。

 

間違いなく、ニュートンアインシュタインもヨーロッパに生まれなかったら、そうした業績を生み出すチャンスはなかっただろう。

 

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さて本題に戻ると、現実には、こういう本人とそれを取り巻く状況の帰責事由は、判定が難しい。あるいはまったくできない。ということで、「自分の成功は自分のせい。失敗は、周りのせい」みたいなセリフになりがちだ。また自分という実存は絶対的に一度しかないから、こういう数値化ということに意味があるかどうかは良くわからない。

 

結局、成功したのなら自分の能力や努力のおかげであり、失敗したのなら周りがバカで、ついてなかったからというチンケな認識が、精神衛生上は良いんだろう。

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