こんにちは。
僕は究極の合理主義者だと自認している。で、自分の父は3年前に死んだのだが、それでも死体を粗末に扱うことはしなかった。何を当たり前のことを言ってんだと思った人もいるかも知れないが、これは究極の合理主義者にとっては謎の1つだ。
なんで、死体のような単なる無意味な物体を、他の物質よりも大事にするのか??
遺骨は大事にとってある。しかし僕はヒネクレモノなので、位牌とかいうやつはとっくに捨てて、燃やしてしまった。仏教なんて、まったく信じてないからね。母親の願いと地域の付き合いで戒名の費用には数十万円を払ったが、それは付き合いの話。そもそも位牌なんて、何の意味もない。無意味 ムイミィーー!! (ジョジョ風)
とは言え、僕でさえも父の遺体をゾンザイに扱ったわけではない。
進化の過程で、死者との約束や契りを無視することは社会性の無視であり、許されなかったから、そういう心が誰の心理にも進化してきたのだろう。
でもそれって意味があるのか?? 良く良く考えてから、今後の自分の行動を吟味したい。
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