イチローも引退して、メジャー、というかスポーツははさすがに厳しい世界だと感じる。関連して、思うのは日本の労働生産性がアメリカやドイツの3分の2しかないことについて。最近は自分の生産性の低さにも呆れ果てるところもあるので、一筆。
今日は橘玲さんの記事を見つけた。
橘さんが言っているように、というか、もともとは生産性研究所だったかの森川さんも言っているように、日本の生産性が低いことには複合的な理由がある。でもその理由というのをはっきりと指摘している人はほとんどいない。なぜかって、それを書いてしまうと共感性のない冷たい人だと思われるからである。ボクも老い先短いので、ここで書いてみよう。
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つまりは40代、50代の管理職のかなりの人間がマネジメント能力が低いのに、年功序列で出世して、高い給料をもらいながら新規事業もつくらず、若い部下のエネルギーをムダに消耗しているのだ。
日本の上司というのは、自分がマネージャーとして能力を成功してきたからというよりも、単に年をとってきたからと言う理由で選ばれる。日本人のすばらしい横並び主義・ことなかれ主義である。誰からも、戦力外通告されることはない。
本当のマネージャー・経営者とは、事業を創り出すと同時に、部下の成長を促し、しかし最後にどうしようもない場合には「お前は今季の戦力構想からはずれている。戦力外なんだよ」と言える人なのだ。
(これはもちろん死ぬほど辛いし、ボクのようなヘタレには到底できない。言うまでもなく、日本の大学は究極の昭和型企業であり、教授になって働き続けるには何の研究業績も教育業績もいらない。反対にシンガポールの南洋理工大学では、完全なメリットシステム!)
よく過労死するぐらいに働いている日本人が、なぜ生産性が低いのか? と書かれている。実際に過労死するほどの責任を感じて働く人もいるのだが、自分の能力が低すぎて他人に迷惑をかけていることが見えない人もいる。自分で自分のことが客観視できる人はいないから、誰かが戦力外通告をする必要がある。
普通の人はメジャーリーグで活躍できないが、それは誰でも客観的に理解できる。しかし会社のような普通の組織で、明確に可視化することはできない。活躍しなくても高給をもらっていた先輩を20年以上も見ながら、勤めてきたあとに、自分の現在の給料ほどには役に立っていないことなんてわかるはずもないだろう。結果、誰もが自分の存在意義を過大評価しつつ、なわばりを維持することに汲々としながら、定年退職の日を待つことになっている。
誰しもが安泰で楽な人生を望む。毎年の契約更改の不安を感じたり、さらには来年の戦力外通告を恐れる生活を望む人など、いるはずがない。しかし、その結果がみんな一緒の公務員の65歳定年だ。
90年代までは、生産人工が増加してきたから会社組織は拡大基調にあって、効率が悪いセクションがあっても、良いセクションでカバーできたのだろう。同じ規模を維持する均衡経済では、効率が悪いところがあれば、それを地道に改善する必要がある。
これはまたしても囚人のジレンマだ。この国でもっとも活躍している人はさておき、活躍できるはずのない人たちが、若い人々の犠牲の上に高給をとっている。こうした経済が続くはずがない。おそらく近い内に、実に日本的な、、、陰湿なイジメで会社をやめさせる文化がはびこるようになるだろう。その前に、金銭解雇の制度を確立したほうが良いと思うのだが。
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