3章 賃貸住宅とマンションの経済学の前半
こんにちは。日本に賃貸住宅市場がないことは、30年以上前から多くの経済学者が指摘しています。あまりに有名なことですが、簡単に言うなら、、
日本の借地借家法は、借り手を保護していました。貸主が自分で居住する場合でも、それは「正当事由にあたらない」という判決が出たため、リーズナブルな賃貸住宅が供給されないようになったのです。これは日本の法と経済学の最重要な指摘ではなかったかと思うのですが、法学部の民法教育ではそうした配慮を語る学者はいなかったのが印象に残ります。
それで、僕の時代の日本人サラリーマンのライフコースでは、まずは賃貸アパートから始まり、結婚・子育てに伴って持ち家住宅を購入して、ローンを返済して上がり、という感じになっていたわけです。
もちろん、現在も続いている固定資産税、相続税、その他の(200平方メートルとか以内の)小規模宅地への優遇もあります。都心はムリでも、どこか郊外で一軒家を持って、都心まで死ぬ気で通勤して生きるというのは、つまり政策的な合意だったと言えます。実際、東京に一生賃貸で生きるというのは、当時の常識であった土地が値上がりするという前提で行くと、あまり魅力的ではなかったのでしょう。
ところで、今でも芸能人や外国人向けのアパートが100平方メートルで100万とかの家賃がよく話題になります。これは家族がすぐには出ていかなくてもオーケーというコース的な交渉費用を含んだ価格だと考えれば、納得できる価格です。常識的な収入ではそうした場所に住むことはできないし、そういうことで国民も納得しているようです。
あ、すいません、脱線。経済学的に考えるなら、この借地借家法に関しては、定期借地権の新設によって問題は解消されるはずなのですが、実際にはあまり普及していません。山崎さんは、それは借り手には契約解除権が無条件に用意されているから、貸し手の保護が今も十分ではないからだ、といいます。
これはこれで正しいのでしょう。しかし人の心にはもっと「どんな契約が普通なのか?」、ぐらいまでの射程の常識があって、そういうものの変更には長い時間がかかるということなのかもしれないと思ったりします。これはあまり、法と経済学ではないですね、しかし。むしろ、法と行動経済学とでも呼ぶべき考察になってしまいます。
どっちにしても、見た目の弱者である(実際にそういうこともあっただろう)借り手を保護をしすぎて、長期的には借り手が借りるための住宅の供給がなくなってしまったというのは、しばしばアパートの家賃統制でも起こります。そもそも戦後の住宅不足から、こうした借り手の過剰な保護が起こり → 法的安定性が重なって → 東京の賃貸住宅が消滅 → 小規模住宅取得の優遇 という一連の政治的な流れが生まれたのです。
本当に、政策担当者は経済学、というか人間行動のインセンティブ・コンパティビリティをもっと理解する必要があります。
次回は3章の後半、日本のマンション区分所有権法が、またもやデッドロックに直面している話について。
_