- 作者: 百田尚樹
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2012/04/12
- メディア: 文庫
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こんにちは.
小説はほとんど読まないのですが,たまたま家に落ちていた小説を読んでみました.
内容としては,ひどく醜く生まれた女性が,25歳から整形手術を次第に重ねて美しく変化し,その後は初恋の男性を思い出し,ついに魅惑するに至るも,その場面で絶命する,というものです.こう書くとやたらと薄い内容のように感じるかもしれませんが,よくできた小説はすべてそうですが,登場人物の心理描写がとてもとてもリアル,残虐,赤裸々,であることが興味深いのです.なんというか,世間的な常識では語ってはならない人間の生き様や精神の有り様というものが伝わってきます.
小説の主題として,醜く生まれた人間がどれだけ侮蔑され,非人間的に扱われるか,反対に美しく生まれた女性がどれほど異性を魅惑し,翻弄できるかがアリアリと描かれています.38歳という短い人生の最後になって,初恋の男性の愛と婚姻の約束を取り付けるものの,死の間際で自分がかつて醜かった女性だと告白し,それでも愛してくれるかと質問すると,男性は当惑しつつ,愛していると応える.主人公はそれに満足して死ぬが,実際には,男はその後すべてを理解して女のムクロの下を立ち去ります.
愛している場合でも,それが整形でつくられた美であることを知れば,男は女を以前より愛せなくなるものでしょう.どこかに”本物”で”自然”な何かがあって,それは整形では得られないとか,感じるわけです.それは奇妙なことでもありますが,遺伝的な命令からすれば当然です.(なぜなら,通常個体が求めているのは,異性の良い遺伝子であるからです.)
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中学時代から疑問を感じていたことですが,そもそも美醜などという顔面の感覚器官の形状,および配列がなぜこんなに重要なことだと,行動遺伝的にプログラムされているのでしょう? 性選択のチカラ,あるいは自分の神経回路に遺伝的にプログラムされて発生する回路の存在がフシギだし,あるいはいかなる(常識的な,努力や人格・精神性などといった)倫理概念とも矛盾することも,またフシギです.
倫理と感覚の乖離については,おそらくトリヴァースが書いているように,我々の精神性のどれだけかは,いかに人に見つからないような偽善をうまくこなせるか? という問いに答えるために構築されているということなのでしょう.現代社会では発言できないような人間心理は,小説や科学論文の中だけで許され,もはや新聞やテレビなどの公権力では許されなくなりました.
では大学の講義ではこうした事実の提示は許されるのか?? 科学は真実を発見して伝えるために存在しますが,それが常識的な倫理観と抵触する,相反する場合はどうするべきなのか? これは人ゴトではないので,とても難しい問題です.
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