皆さん,こんにちは.
今日もひなが一日 翻訳を続けました.(と言っても,寝てばかりいる小生の一日とは,12時間ほどでしかないのですが,,,)それにしても,とにかく長い.いい加減 タイプし続けてきた指が死んできて,酒なしでは痛くてやってられないほどです.それでも写経をしていた戦国時代の僧侶・武将に身を重ねてしまいますwww
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3章は,現在の銀行制度で一般化している部分準備制度というものは,そもそも理解不可能なワケワカメな制度だというものです.
部分準備とは,銀行が顧客から預かった金(預金)の100%を保管する必要はなくて,まあ4%(現在の日本の制度)ぐらいを保管すれば,後は自由にローンに貸し出したり,外国証券,不動産なんかに投資してもいいよ,というものです.なぜなら,銀行に預金引き出しに来る人なんて,全体のわずかな部分でしかないわけですから.
しかし,物を預かった人が,それを勝手に使えば窃盗,あるいは横領です.現金でもそのはずなのに,なぜか銀行だけはそれを許されている=政府からの特権なのです.
えっ,そんなのすべての先進国政府が許しているから当然いいんじゃないの? と思ったあなたはすでに国家主義のワナにどっぷりとハマっているのです.国家が許せば何でもいいのなら,北朝鮮,中国,さらにはすでに領域国家の様相を呈しているISの活動もすべて合法になってしまいます.すべからく,制度のそもそもの理由と帰結を理解しなければ,ウカツに判断してはいけません.
ということで,de Sotoの意見は100%準備が必要だというもの.それを守らなければ信用拡大によって,通貨の流通量が増えてインフレを起こしますよ,また一時的にみんなが勘違いして投資+消費ブームに走って景気は良くなりますが,いずれは弾けて経済危機になりますよ,というものです.
これはミーゼス,ハイエクが古くから指摘していることです.しかし,de Sotoの論拠はそうした経済学的な帰結主義だけでなく,法律的な議論からしても,銀行が預金を勝手に使うのは(政府に与えられた特権はさておき)論理的に窃盗・横領であるからおかしいだろ,というものです.
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ではまた明日.