1.僕は小さい時から,自分の名前として「蔵」という字を使ってきたが,最近になって急に「あなたの戸籍上の字は藏であり,これは別の字だから,きちんと書いてください」と銀行や携帯会社,その他から要求されるようになった.
そこで,最近は多くのシリアスな書類では「藏」と書くことにしているが,メンドウなことこの上ない.
渡辺さんが,実は「渡邉」さんだったり,「渡邊」さんだったり,あるいは金沢が「金澤」だったりするのと同じなのだ.
戦後の漢字改革で,略字が使われるようになったが,両方を知っている世代が消滅すると,旧字と新字が異なったものとして認識されるようになったからなのだろう.シカタがないので,藏とかくことになった.
でも倉と藏は,おそらく中国では貴重品を保管するのか,収穫物を保管するのかで使い分けていたのだろうが,なんでそんなことを日本人のオレが知らなきゃならないのか??
いっそ ひらがなにしたいものだが,戸籍というやつは当然に法律で管理されているのだから,変えると言っても,家庭裁判所の許可がいるはずで,余計にめんどうくさい.
2.ところで,昔 北京で中国語を習っていた時,僕のことをKuraではなくて「Zang=ぞう」 と呼ぶのには かなりの抵抗があった.僕のアイデンティティはそれほどまでに中国語にあるわけではないのだから.
というわけで,表音文字に変更すべきだと思う.なんで,今ごろ中国人の文字を有難がたがって,学習に長い時間と苦痛を投じる必要なんてあるのか?
3.僕の息子は,毎日漢字ドリルをいやいやながらやっているが,そんな時間があるなら,英単語を小学生の時から覚えさせて,意味を教えればいいと思う.漢字と英単語の複雑さは,小学生にとってはまったく同じだろう.
と書くと,必ず,「母国語で考えることを覚えてから,外国語を学ぶべき」などという識者が新聞に出てくるが,こいつらはクソ中のクソだ!! 小学生にとって,中国語が英単語と違うはずはない.新しく覚える概念を漢字で覚えるか,あるいは英語で覚えるか,という違いでしかないのだから.
「膵臓」というのと,「pancreas」 というのは,日本人の大人(含む小生)にとっては,まったく直感的な理解の容易さが違うが,それはつまり単に人生の中で慣れてきたというだけのことだ.なんで,有害でしかない中国語教育を次の世代にも押し付けるのか? エゴと自分の知っている知識が重要だというバカらしい直感だけに支えられているのだ.
今「膵臓」を検索してみると,935,000のヒット,"pancreas" では 5,730,000 のヒットがあった.いつも学生に言っているが,英語で得られる知識は,日本語で得られる知識の10倍から1000倍ある.なんで,Jobsも苦しんだ 膵臓癌 pancreatic cancer の知識を日本人から遠ざけておく必要があるのか?
中国人は,人類共通の至宝である科学にまったく貢献してこなかったし,これからも貢献することはない.なんで オレの知ってしまった孔子様のクソ知識を重視するのか? こうしたことこそが因習であり,唾棄すべき保守主義 the very conservatism to be loathed というものだろう.
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