kurakenyaのつれづれ日記

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classical anarchism => communitarianism

Two Cheers for Anarchism: Six Easy Pieces on Autonomy, Dignity, and Meaningful Work and Play

Two Cheers for Anarchism: Six Easy Pieces on Autonomy, Dignity, and Meaningful Work and Play



この本のスタイルは、まさに「いろいろと考えてみた随想、随筆の集合」という感じで、当然ながら納得する所もあるし、そうでもないところもある。


著者の言うアナキズムは、古典的と呼ぶべきものだ。プルードン的=古典的なアナーキズムというのは、今時の言葉で言うならコミュニタリアンである。彼らは、国家の要請する画一性に反対し、同時に、資本主義の徹底のもたらす不平等についても反対する。これは、感覚としては理解できるが、では一体どういった整合的な社会制度があり得るのかについては、何も語らないという立場だ。


著者が言うように、確かに商店街のオヤジなんかは大きな正の外部効果を持っていて、犯罪も抑制するだろうし、ある程度は地域の老人も助け、人びとの暮らしを豊かなものにしている。これは間違いない。


しかし、近所のオヤジがクルマをつくれるのかはよくわからない。結局、我々はより豊かな物質生活も希求しており、それを実現するためには、大規模な組織が不可欠なようだ。はて、ボーイングジェット機のような複雑大規模な構造物が、個人間の契約と業務の実行の集合として、果たしてつくれるんだろうか? あるいは、ジョブスがiPadを作って、ラリー・ペイジ検索エンジンを作って、100兆円を人びとに与え、代わりに1兆円を儲けるのが、そんなにおかしなことなのか?


結局、現代の会社のどれかが大きすぎる、労働が非人道的になっているというのなら、もっと小さなやりがいのある人道的な組織が、それに取って代わっていくだろう。ある企業の労働がいかにやりがいがなく、人的資本の蓄積に繋がっていなくても、そういった労働のほうが望ましいと思う人がいるから組織として継続しているのだ。それが、相対的に高い賃金であれ、楽チンでやりがいのない仕事であれ。


これはしかし、ブラック企業論にも当てはまる論理だ。ブラックなのに、やめないというなら、何かそこには理由があるはずだ。転職による低賃金化、我慢強くないというスティグマへの恐れ、などなど。


ボクもいろいろと問題だは感じるが、いいアイデアもない。規制を強めればいいというものでもないだろうし、ボクの友人のように、4時間しか寝ないでもいいというやつは実在している。(対して、ボクは10時間以上は寝ている。)

結局はブラック企業投票などと、それに対する経営陣の反論、結果として学生が志望しなくなるという、足による投票が一番間違いがない。





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