Ron Paul の「The Revolution: A Manifesto」では
アメリカの世界130カ国にも及ぶ軍隊の進駐が財政負担となっているだけでなく、
9.11にも明らかなように安全保障にも悪影響を与えている、という。
のみならず、対テロ対策と称して、令状なしで国民の通信の秘密が奪われ、
身柄拘束も無期限に、令状なしに行われる点を問題視している。
こういった意見はすべてもっともだが、軍を撤退させ、肥大化した政府組織を処理し、
所得税を廃止するなどということは、現実的ではない: だからこそ revolution なのだが、、、、
彼の意見は確かにリバタリアンの見本のようなものであり、彼の人格もすばらしい。
だからこそ、書籍はそれなりに売れているのだが、
政治的には真剣には相手にされていないことは、残念極まりない。
「政治活動、とくに民主主義に基盤を置く政治は、
金儲けを目指すビジネスよりも価値が高い」という世界観は、
僕も高校生時代まで強く持っていたものだが、
明らかにこれには政治活動を好んだ人々が、
そうでない人々よりも繁栄してきたという進化心理的な背景がある。
それをどう打ち破るのか?
他人の強制からの自由という別の価値観に訴えることがフランス革命やアメリカ人権宣言からの伝統だが、
小生が見る限り、日本では「自由を重視するべきだという考え=ただのわがまま勝手野郎」という図式になって、
なかなか共感を得ながら説明するのが難しい。
で、今Nisbettというミシガン大学心理学教授の「西洋・東洋心理の違い」みたいな本を読んでいるのだが、
この本の中でも、古代ギリシャの時代から「自由と自己実現」は第一の価値であったのに対して、
古代中国では「調和」が重視されていたという常識が繰り返されている。
ニスベットはこれは環境から来る文化の差だというが、
僕はこういった活動の違いの分散のどれだけかは必ずgeneticだろうと疑っている。
双子研究などが将来もっと明らかにすることだろうが、
人間の思考にも先天的な傾向性が存在しないとは到底思われないからだ。
僕自信にとってのもっとも大きな問題は、
仮にアジア人が自由を重視しない生得的な傾向があるとすると、
さてどうしたものなのか???
というアポリアだ(苦)。