原発問題以来、東電がどうのこうのというニュースが多い。
僕はあまりこの問題に強い興味はないのだが、ひとつ思うことがあって、それはエネルギー源というのは本当は多様なのだろうという予測だ。
地熱ができないのは、国立公園にあるから。 海上風力、海流発電ができないのは、漁業権との折り合いが難しいから。 火力発電をしても、誰に売ることもできない制度。 などなど、つまりはくだらない規制が多すぎるのだ。
まあ、どのみち、こうしたエネルギーは高すぎるのかもしれない。
とはいえ、その反面、シェールガス革命が起きていることはほとんど無視されているようだ。アメリカでもカナダでもどれだけでもガスが出てくるのなら、何も目くじらを立てて、メタンハイドレートをほろうとする必要もないだろう。すごく高つくことは現時点では不可避なのだから。
というわけで、どれがどれなのか? 各人が好きなことを、あるいは望みをさも現実のように書いているので、わけがわからない状態になっている。結局、自由を許して、誰でも、発電、送電できるようにして、ユニバーサルサービスなんてバカなこともやめて、市場に聞いてみればいい。
シェールガスが安ければ、皆が使うようになるだろうし、風力が好きな人は高くついても、蓄電池と一緒に導入するだろう。人々に自由を与えて、その選好に任せればいい。エネルギーは国策! などと言っている奴が一番たちが悪い。
そういうヤカラは、よくよく聞いてみると、どんな資源でも一元化した権力が管理すべきだという、権力亡者なのだ。