先日、junta_lawさんとのメールのやりとりの中で、
「いったい女性らしい女性とは、知的な存在でありえるのか?」
という高校時代から考えてきた疑問に、またも思い至った。
これについては、大学時代に友人宅で夜更けにダラダラして深夜番組を見ながら、
「胸の大きい女ってどうも知的な感じしないよなーー」
とか、まったくPCから程遠い、勝手極まりない会話をしていたことも思い出される。
当時から、すでにそういう感覚はもっていたのだが、
進化論的なultimateな理由に思い至っていなかった。
さて、今の僕は当時よりもはるかにホルモンと個体発生に詳しくなったので、
その理由がはっきりと分かった。
エストロゲンは豊かな胸を作る反面、脳の発達に影響を与えて、
例えばVisio-spacialな近く能力を下げる(D.Kimura ,
(おそらくは、その部分を他人の心理を読むというような別の能力に使うのだろう。)
だから、女性らしい外見を持つ女性は、統計的により高い女性ホルモン濃度を持ち、
多くの人が知性であると感じる論理、抽象性から離れる傾向になる。
同じことだが、おそらくは化粧をするというのも、配偶戦略の発露なので、
過度に女性的な装飾に興味が有る場合、
配偶活動により多くを割いていると評価できる。
ということは、性ホルモン濃度が低いほうが、より実力的な戦略であり、
配偶者獲得においても、性選択を重視しないタイプだと予想される。
この本で、Nyborgは、性ホルモン濃度は知能と逆相関していることを報告しているが、
部分的な追認はスロバキアでも行われている。
http://scientific-child-prodigy.blogspot.com/2007/07/iq-and-testosterone-in-children.html
というわけで、性ホルモンの多い個人はその男らしい、あるいは女らしい徴表をシグナルし、
その反面、おそらくは知的な活動はあまりしない、
というタカ派と戦略的なESSが成り立っているのだ、と僕は現時点で考えている。
こうした話をするときのいつもお決まりの注釈ではあるが、
以上にやや詳述した論考は、純粋に科学的、統計的なものであり、
個人に対する多様なlabellingを正当化する程度に強いものではないだろうことは、
付言しておきたい。
背の高い人は頭がいい、というのはよく知られた科学的事実だが、
あまり知られていないように、あまりにも関係が弱いだろう。