kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

美徳の紳士に御用心 Be careful about virtuous gentlemen

最近、いろいろと雑用にかまけていて、ベストセラーであるにもかかわらず、サンデルの「正義・・・」を読んでいなかった。というわけで、時間を作って、読んでみた。


当然にその内容は彼の著作の延長上にあって、僕は何も学ばなかったが、再び痛感したこともある。


一つめは、すべての「価値」を「道徳的」に判断できると考えているようにも思われる、その素朴な経済感覚。市場より道徳感覚を優先する態度は、まさに知的な驕慢そのもの。


しかし、もっと重要なことは、そのアリストテレスにさかのぼる「美徳ある人生」についての考察だ。マッキンタイアの「美徳なき時代」でも同じモチーフが使われている。つまり、政治活動によってのみ美徳ある人生は実現される、というアリストテレスの言葉をサンデルもまた繰り返しているのだ。


古代ギリシアのポリスにおいて、「政治」が重要であったことは間違いない。アテネは古代の商業都市であったとはいっても、ペルシャ戦争に勝たなかったら、その繁栄どころか、存続もなかったはずだ。そういった時代背景において、美徳のある生き方が政治活動だけであると考えるのはやむを得なかったのだろう。


「政治は道徳と直結しており、堕落した拝金主義の商業とは、その本質において異なっている」というのが、政治好きな論客の常識なのだ。僕自身も高校時代には、このような常識的感覚を信じていたので、よくわかる。


リバタリアンが否定するのは、美徳そのものの存在ではない。そうではなくて、その美徳を政府という「強制力」を使って他人に押し付けることだ。この点については、Knight Libertyさん、slumlordさん、先日LJPに協力を約束してくれたPalmerさん、全員が強調している。
http://c4lj.com/archives/382643.html
http://c4lj.com/archives/380630.html
http://c4lj.com/archives/383296.html



「正義・・・」を読むと、巧みにサンデルの論法と文章に引きつけられて、ついつい美徳ある人生を送りたくなってしまう(苦笑)。おそらく、そうなのだろう。僕がサンデルのタイプの人にあったら、その価値観、人的な美徳については、大まかに言って、大体のところは同意するのではないかと思う。唯一、その価値観を他人に強制することを除いて。


こういった政治的公民道徳のロジックに引きこまれそうになったとき、その著者として連想される道徳的な紳士像を想像して、同感するべきではないだろう。なんといっても、そういったすばらしい有徳の紳士たちは、ナチスの大半であったし、日本軍部の大半だったのだから。