kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

久しぶりにアメリカに来てみると

14年ぶりにカリフォルニアに来て家族のアパートを探した。
光がまぶしいことを思い出した。こういうところだったんだ!!

さて問題になったのは、Social Security Number SSN (社会保障番号)だ。
これがないと、携帯電話も契約できないし、アパートも借りられないことがほとんどだ。
僕はたまたま、昔UCその他でTAをしていた(アメリカで働いた)ことがあるので、
SSNをもっている(捨てなくてよかった!)。
しかし、これを捨ててしまっていたら本当に困っただろう。


SSNは結局、アメリカ人以外をすべての活動から追い出すという、
悪魔の番号だ。つまり納税者総背番号の典型なのである。


日本でも近いうちにそうなるのかもしれないが、これだと
国家のデータベースの網の目の漏れた人は本当に困ってしまう。
国家主義が行き過ぎではないのだろうか。


ちなみに、僕はアメリカでのクレジット・ヒストリーがないために
一ヶ月分余計な家賃をDepositすることを要求された。
これはあるいは国家は関係していないのかもしれないが、
それでも、銀行の許認可を経て、間接的に関係しているだろう。


さらに娘の諸学校の通学のために必要だということなので、
現地で銀行口座を開き、来週はさらにアメリカでのクレジットカードを作るつもりだ。
ついでにカリフォルニアのDrivers' licenseも10年ぶりに取り直すつもり。
それらがないと、住居の証明が難しくなり、娘が不利益を被るというわけだ。


日本でもよく、東南アジア国籍の子の国外退去の裁判が報じられるが、
なんで、人間がたまたま生まれたところを理由に差別を受けねばならないのか???
人権は普遍的であるべきだし、それ以前に人間は誰だって同じ権利を有するのではないのか?
なぜ、国家の配給する番号が必要なのか?


僕は結局、クレジット・ヒストリーがない分を30万円にも及ぶ余分なdepositで対処した。
昔、UCの学生であった時には気づかなかった不利益だ。
つまり、金が重要だという、当たり前のことなのだ。
これは、国家によって制度が分断されているからなのか?
あるいは、本質的に市場というものが分断されて、情報共有の不完全性によるものなのか?
これはsomething to figure outである。