セーラー服姿の女の子の好きな男というのがいて、
あるいは別に看護師でもいいのだが、
そういう「制服」にモえるという趣味はいつの時代にもあった。
これはこれでわからないわけではないのだが、
おっさんになって思うのは、むしろ反対のことである。
ファッションは話し言葉や書き言葉と同じくらいに
本人の遺伝的な資質のシグナルになっている。
ファッションの流行り廃りを学習するのも負荷が高いし、
第一、どういう方向の人間を目指すのかは、
銀座の水商売の女の服装と、
law firmに勤務する弁護士ではまったく異なることから明らかである。
ので、僕は思うのは
むしろ、服装を自由にさせた方がよほど個人の価値観も現れていて、
「惹かれる」ことも多いということなのだが、、、
あまり、フェティシュな(社会学系の)方々にはうけない考えだと自嘲される。