1、アホな僕は今日、Bryan Caplanのサイトを長時間読んでいて、
自分のような程度の思考で書籍を書いたことに、
またしても大きな自己嫌悪に陥ったが、まあバカなのだから仕方がないだろう。
小さなオリジナリティも(よーく見ればどこかに:爆)あるだろうし、
今後も勉強することは無限にあると割り切ることにした。
2、娘(8歳)がこのごろ、
「髪の長い子はメッチャ可愛い、魅力度チョーupなんだ」
と連発するようになった。
僕はまったく髪の長さには合理的な意味があるはずはないと考えてきたし、
魅力度とも関係ないと感じてきたのだが、よく考えてみた。
おそらく進化論的に考えれば、
女性の髪の長さと美しさは「オナガドリの尾羽」にあたり、
アモツ・ザハヴィのハンディ・キャップ理論が当てはまるのだろう。
つまり、それだけの無駄髪を作って維持できるということは健康で
パラサイトに困っていないというシグナルなのだろう。
この考えは、確かに平安王朝絵巻のいじょうな髪の長さの
宮廷女性たちの美的な感覚を説明するのが興味深い。
3、車に乗っていると、いつも思うことがある。
それはクルマの選択は服と同じで、
本人の遺伝子の延長された表現型だということだ。
服は確かに、その人の価値観などの内面を示している。
スーツ姿のおじさんでさえも、よく見ると靴からヘアースタイルまで、
相当な違いがある。女性に至っては、千差万別だ。
クルマも同じで、アメリカではSUVが売れるのは、
たくましい、頼りになるという感覚が多くの男性に受けるからだろう。
かくいう僕も日産の小型SUVに乗ってガスを浪費している。
ビーバーの作るダムはビーバー単一の遺伝子の作り出した
地球上でもっとも大きな表現型だが、人間の場合も家になるだろうか。
しかし、家は確かに大きいものの、多くのクルマ好きはクルマに対して、
より大きなアイデンティティを見出しているように思われる。
4、さて今日は、「国家は、いらない」の宣伝のために、
日刊ゲンダイの記者さんにリバタリアニズムを説明してきたが、
やはり、これはなかなかに難しいものだと感じた。
やはりリバタリアンの焦点は、
「いかなる政策をするべきか」という問いかけ自体がダメで、
「いかに政治活動を小さくして、それらを自発的な活動に解消するか」
という点なのだが、これは記者さんには斬新だったという。
はたしてゲンダイ読者のみなさんにこの点を理解していただけるのかは
完全な未知数なのだが、今後もベストを尽くしてみようと思う次第であった。