kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

法におけるエピメニデスのパラドックス

小生は学生時代から20年もの長い間、
法律のもつ自己言及的、あるいは階層的な性質の
ゲーデル的な矛盾について興味を持ってきたのだが、
今日、ホフスタッターの本を読んでいて、
ついにアメリカのPeter Suberなる法律教授が
これらの問題について著作を1989年の時点であらわしていることを知った。


憲法と条約のどちらが優先されるのか、
あるいは今後は自然権思想は捨てちゃうよ、とか
いろいろと論理的な問題はあるわけだ。
それからたとえば、違憲無効判決の法律を内閣が執行したらどうなるのか、
とか、あるいは、
自由を破壊する全体主義の主張を自由に許すか、
とか、
憲法改正手続きを正式に通常多数決に変更できるか、
とか、まあ、この手の矛盾は無限に考えられる。


で、「純粋論理」的にはパラドックスは解決不可能なのだが、
現実はなんらかの力関係によって、それなりに決定されていくわけだ。
そこんところの法文の階層性の重要性とそれに伴う矛盾の「妥当」な解決法は、
実は、OSが多様なプログラムからの優先度の異なる命令をさばくやり方や、
あるいは人間が日常的にひじょうに多くのタスクを並列的に処理している状況と同じだ。


小生は過去、数ページの論考と目次を作っていて、
いつかもっと真剣に考えて発表をと思っていたのだが、
結局のところ、無駄な時間をあまりかけなくてよかった。
こういった問題はもう少し専門の法学者の方でも理解してほしいものだ。
普通の法律の本は、知的な遊び心に欠けているからだろうか???
憲法の教科書には全く載っていないというのも、
実は法学者が論理学を重視していないことが表れており、
そう考えると、実に残念至極というべきだろう。