kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

役人の無責任体制

三セクの債務超過の問題をNHKのクローズアップ現代でやっていた。


三セクが成功するはずはないのは、どういった事業にしても、
そのインセンティヴからして、おおよそ明らかだ。
しかし、その過去の失敗のツケを支払う地域住民も今後は大変だ。
そういった政策をとった首長と議会を選出したとはいえ、
その決定は今後も自治体に住み続ける人への重しとなる。


長期的にどうすればいいのかといえば、
やはり政府活動の憲法レヴェルでの制約しかない。
市役所の役人であれ、国家官僚であれ、だれであれ、
人の金を自分の金と同じように大事には使わないのは明らかだからだ。


しかし、こういった縛りをかけることもまた非現実的なのかもしれない。
なにせ、政治はそういったもうからない事業をするのが当然だと
多くの人が前提視しているからだ。
チューリップ・バブル以来、現実の人間活動は、
バブルをつくって、はじけて、困って、しかし立ち直り、
それを忘れての繰り返しだった。
これからもそうなのだろう。


小生のような庶民はただ、
どうやって自分の生活を税金から守るかを考えるほかはないのだろう。
そうだとするなら公民道徳としては、ひじょうに残念なことだ。